スタイルチェンジ #3

 

「おまたせっ!  よーし、移動しよっか!」

「おう。次はどこ行くんだ?」

「えっとね、まず駅まで行って───」


   買い物を終えた風太郎と一花はデパートを後にし、移動を開始する。すっかり一花は調子を取り戻したようで、風太郎とは違い絶好調のご様子だ。風太郎も不調というわけではないのだが、基本的に一花のペースに振り回されているため、若干の疲れが見えていた。最も風太郎はサボりに適したスポットなどわからないので文句を言える立場ではないと認識してはいるが、せめて移動先でも心臓に悪い展開が訪れないことを祈っていた。そんな思いを胸にしまいながら一花の方を見ると、格好が少し変化したことに気づく。


(……ん?  上着はしまったのか?)


   今の一花は変装用の眼鏡をかけているだけではなく、普段腰に巻いている上着がない。夏服なこともあって、露出度が増したように思う。やけに時間がかかっていたのはこのためだろうか。新鮮味を感じるが若干目のやり場に困る。

   次は一花がお気に入りのスポットを紹介してくれるというので、風太郎と一花はその場所へと移動することとなった。駅に向かい、電車に乗って何駅か移動すると、そこは人気もお店も車通りもほとんどない、まさに田舎と言うべき場所であった。

   それでも駅前にコンビニはしっかりとあるようで、一花が風太郎に誘いをかける。


「フータロー君、コンビニ寄っていい?お昼買ってこっ!お姉さんが奢っちゃうよー」

「なんだよ、俺だって給料もらえるようになったんだ。自分の分は自分で払う」

「いいの!  今日は私のわがまま、たっくさん聞いてもらってるんだから!これくらい私に、さ・せ・て♡」

「うっ……」


   風太郎の右腕に抱きつきながら、上目遣いでおねだりをしてくる一花。風太郎は早くも顔が赤くなるのを感じた。

   一花はもともと制服のボタンを少し外しており、胸の谷間が見えることは普段の学校生活でもたまにある。そんな服装で腕に抱きつかれてしまっては、風太郎が一花の方を向くと自然と彼女の胸の谷間を見下ろす形になってしまうのだ。

   しかし、腕を抱き寄せられるのは初めてではない上に、目線を反らせばさほど緊張しない。本心を悟られないように、軽くあしらう。


「わかった、わかったから離れろ。ありがたくご馳走になってやる」

「はーい。……やっぱ、露骨なのは今ひとつかな……でも、まだまだ……」

「……ん?  なんか言ったか?」

「なんでもないよー。ほら、入ろ入ろっ!」

「お、落ち着けって……」


   コンビニに入った二人は昼食、飲み物などを購入し、再び移動を開始する。民家はあっても人通りの全くない、静かな空間が続く。五分ほど歩き坂道を登ると、一花が声を上げた。


「はーい、着いたよー!」

「おおっ……!」


   風太郎の目の前に広がるのはそれなりに広い公園。以前風太郎が四葉と一緒にブランコを漕いだ場所のような一般的な公園とは違う、緑の多い自然公園といったような場所だ。

   しかし遊具も充実しており、ブランコに滑り台といったようなメジャーなものから、ロープウェイといった珍しいものまで揃っている。

   そのように子供達には人気そうな公園なのだが、風太郎と一花以外の人は見当たらない。完全に貸切状態だ。気持ちの良い快晴と春のそよ風も合わさって開放感が凄まじい。それにともない、風太郎のテンションも高くなる。

   二人は遊歩道を歩き、少し進んだ先の木陰のあるベンチに腰掛ける。少なくともここでなら心臓に悪くなるような展開が起こることはないだろう。そんな安堵感を抱きつつ、風太郎は一花に話しかけた。


「いいところだな、ここ。こんな場所今まで知らなかったぞ」

「でしょでしょ?みんなも知らない、私だけのお気に入りの場所なんだー。誰かに話したのは、フータロー君が初めてだよっ」

「……そうなのか。お前にとっての秘密基地みたいなもんか。静かで、落ち着く場所だな」

「気に入ってもらえたようでよかったよ。私、たまーにここ来てのんびりするんだ。嫌なこととかがあっても、ここでお昼寝してると忘れられるからね。ホント、気持ちよく寝れるんだよ」

「そうか。確かにお前はそういった楽しみ方の方があってるかもな。ま、せっかく来たんだし遊ぼうぜ。滑り台なかなかに長いぞ。俺が見た中だったら最長かもしれんな」

「いいよー!  一緒に行こっ!」


   ふたりは荷物をベンチに置き、一花は眼鏡も外し、滑り台へと向かう。一花もテンションが上がってきたようで、滑り台に到着するやいなや即座に階段を登り始める。風太郎も少し遅れて後に続こうとしたが───


「…………失敗した…………」

「んっ?  どうかした?」

「いや、なんでもねぇ……」


   自分のふとした呟きに一花が振り向いて反応するが、風太郎は適当に誤魔化す他ない。一花に先に階段を上らせたのが間違いだということに気づいてしまったからだ。


   角度的に、目線に気をつけないと一花のスカートの中の下着が見えてしまう恐れがある。


   普段は上着を腰に巻いているためこのようなトラブルは起こりにくくなっているのだが、なぜこのタイミングで巻いていないのか。風太郎は一人気まずい思いをしてしまう。


(わ、わざとなのか?いや、そんなまさか……)


   階段は長くはないが急なため上を向いて登りたいのだが、この状況では難しい。手すりにしっかりと手を合わせ、慎重に上る。ただ階段を上るだけだというのに、なぜこんなにも気を遣わなければならないのか。この場所でもすでに風太郎の心は乱され始めていた。しかし、これはまだ序の口でしかないことを風太郎は知らない。


   風太郎は若干の緊張を感じつつも、少し遅れて滑り台の踊り場に到着した。階段を先に登ったのは一花のため、一花が先に滑るものなのだと風太郎は考えていたがどうやら違うようで、風太郎に先を譲ってきた。


「フータロー君、お先どうぞっ」

「おっ、いいのか?じゃあ遠慮なく」


   滑り台の滑る部分はローラーになっていて、さらに高校生の風太郎でもスムーズに滑ることができそうな幅の広さがある。

   距離の長さもなかなかで、これは楽しめそうだ。少しばかりのワクワクを胸に、風太郎がいざ滑る体制に入ったところで───そのまま、停止した。

   なぜか、自分の首に後ろから手が回されているのだ。それと同時に、背中に柔らかい感触が風太郎の背中に伝わる。こんなことをするために先を譲ったのだろうか。動揺を悟られないように気をつけながら、風太郎は自身の背中に張り付いているであろう少女に声をかける。


「……おい、一花」

「どうしたの、フータロー君」

「どうしたのじゃねぇよ。おかしいだろ」

「えっ、何が?  お姉さんわかんなーい」

「とぼけるな、滑り台は二人で滑るもんじゃねぇ!  一人用だ!  離れろ!」


   風太郎が顔を後ろに向けると、きょとんと可愛らしく首を傾げている一花が至近距離で視界に映る。抱きつかれているため当然密着度は凄まじい。


(ちくしょう、こいつやっぱわざとかよ……!)


   風太郎は思わず頭を抱えそうになる。ここでなら心を乱されることはないと思っていた数分前の自分を全力で殴りたい。そもそも人が全然いないということは、誰か来るまではこの少女とずっと二人きりということだ。一花はいたずらっぽい笑みを浮かべ、風太郎に話しかける。


「ごめんね、薄着だからちょっと寒くってさ。でも、こうしてくっついてればあったかいでしょ?だから……ね?」

「俺はむしろ暑いわ!  お前が上着を着れば解決だろうが!」

「えへっ、鞄の中に置いてきちゃった。ていうか、私とのハグなんてべつに初めてじゃないんだし、そんな気にすることじゃないよ!  友達ならこれくらい普通普通!」

「だからここは欧米じゃねぇんだよ!さっきからお前の友達との距離感ガバガバすぎるだろ!  普通の友達はこんなことしないっての!」

「そっか……わかったよ。じゃあ友達っていうのは訂正するね。私の気持ち、フータロー君が理解してくれるまで何度でも言うよ」

「は?  何言って…………いや、待ってくれ。俺が悪かった、何も言わなくていいから!」


   またしても一花の表情と声のトーンは真剣なものに変わる。この180度の変化には慣れない。さらに、先ほどの壁ドン以上の至近距離。シチュエーションは違えど、再び豪速球が飛んでくると風太郎は察した。

   爆弾発言が飛び出す前に逃げようとするも、一花の抱きしめる力は強く引き剥がすことは難しい。抵抗むなしく、風太郎は一花の直球勝負を受けることになる。


「私がこんなことするの、これまでも、これからもずっと、フータロー君だけだよ。私にとって君はただの友達なんかじゃない。心からの信頼を寄せられる、とても大切な存在なの。そんなフータロー君がそばにいてくれるなら、私、どんなことだって───」

「あ゙ー!  わかった、わかったから!  もう言うなそれ以上!とっとと行くぞ!」

「!  ふふっ、やったー!  それじゃあいざ、れっつごー!……本当に、私の本心、なんだからね?」

「〜っ!」


   あまりの恥ずかしさに耐えられず、風太郎は言葉の途中で顔を背けてしまう。しかし、顔を赤くしながらも真剣な眼差しを向ける一花の姿は風太郎の脳に刻み込まれている。一花も恥ずかしさを感じていたようだが、むしろそれが良くない。これは一花の本気の想いなのだと否が応でも理解させられてしまった。

   完膚なきまでに風太郎の敗北だ。ど真ん中のストレートだとわかっていても受け止めきれない。一花の大胆かつ一直線な言葉は聞くたびに心が揺さぶられ、風太郎の胸の鼓動はなかなか収まらない。今回なんて愛の告白と何が違うのか。二乃に自分のことを知ってほしいと言われた時は顔こそ赤くなりはしたが軽く流せたというのに、この差はなんなのだろうか。

   様々な疑問を秘めつつも、結局風太郎は一花の胸の感触を背中で感じながら滑り台を滑ることとなった。周りに人がいなかったことが、少年にとって唯一の救いである。


「あー楽しかった!  フータロー君、次はどれで遊ぶの?  ブランコ一緒に乗らない?」

「だから二人用じゃねぇよ!  ブランコはやらん。遊ぶとしたら次はこれだな」


   満面の笑みを浮かべながら提案をしてくる一花。この時間を心から満喫していることは風太郎にも伝わっている。自分がターゲットというのはどうにももどかしいが、楽しんでいる一花を見ると拒絶はできない。今までの自分なら鋼の意思で容赦なく断れていたはずなのに。本当に、一花に対して甘くなっているのを風太郎は自覚してしまう。

   しかし、たかだか滑り台でこんなに緊張していては心が保たない。そんな危機感を感じた風太郎は、せめてもの抵抗に次の遊具は密着の仕様がないものにしようと考えていた。そのような意図を汲んだ結果、選んだのはこのロープウェイだ。


「あー、これねー。名前わかんないやつ。ここ何度も来てるけど、私これで遊んだことないかも」

「正式名称はロープウェイで間違いないらしいぞ」

「へー、そうなんだ!  ロープウェイって聞くと、山にあるやつイメージしちゃうよね」

「だよな。普通の公園にあるのは珍しいし、知ってる人も少ないだろう」

「納得ー。うーん、私もやってみたいけど今制服……いや、待って。これは……」

「どうかしたのか?」

「……よし、いいよ!  やろっ!」

「お、おう……」


   最初は悩んでいた表情の一花だったが、それを一瞬にして急に覚悟を決めたかのようなものに変化させた。何か企んでいる可能性も考えられるが、いかに悪知恵を働かせようがここでは二人乗りは不可能で、普通に遊ぶことしかできないだろう。

   思い通りにはさせまいと密かに対抗意識を燃やしている風太郎は、ロープウェイの中間地点へ移動し、そこにぶら下がっているロープを片手に踊り場へと向かった。そして、踊り場からロープの上部を掴んで軽く飛び移り、風太郎はロープごと加速する。


「おおっ、結構早いな……!」

「……やっぱり……」


   あっという間にロープは終点まで到着し、その反動で中間地点まで戻される。風になったような気分を味わえるこの遊具を、風太郎は無邪気に堪能していた。


「やっぱこいつは楽しいな。一花、お前もやるか?」

「……うん、オッケー!  フータロー君、私の勇姿、しっかり目に焼き付けておいてよね!」

「そんな気合い入れんでもいいだろ……」


   まるでこれから死地に赴くかのような一花の真剣な表情に、風太郎は少し呆れてしまう。なぜそんなに張り切っているのかはわからないが、風太郎は踊り場で待っている一花の元へロープを持っていく。


「ほらよ。しっかり、ロープの上の方に掴まるんだぞ」

「ありがと。……えいっ!」


   特に何事もアクションを仕掛けることもなく、一花は普通に軽くジャンプしてロープに掴まり、その勢いで加速する。


「わっ、思ったよりスピード……!」


   やはりというべきか、予想以上のスピードに一花は驚いているようだ。それを見た風太郎が、慣れてないとびっくりするよな、と呑気に少女を眺めていて───


(……ん?  待て、あいつ今スカートじゃ……)


 頭にクエスチョンマークが浮かんだ時には、すでに手遅れだった。

 

 


   加速するロープにしがみついている一花。彼女が履いている制服のスカートは、風圧に耐えきれずめくれ上がってしまった。

   結果、風太郎は一花の履いている下着を目撃することとなる。

 

 


(はあっ!?  なっ、なんで……!!)


   文字通りの絶句である。一花自身予想できないトラブルではないだろうだとか、そもそもスカートなのになぜ遊ぼうと思ったのかだとかそんなことは知らない。風太郎の頭は、ただひとつの疑問で埋め尽くされていた。


(わけわかんねぇ……どうしてあいつ、さっきのあの下着履いてんだよ!?)


   予想外の攻撃は、安心しきっていた風太郎の心に大ダメージを与える。みるみるうちに風太郎の顔は赤くなり、さらに下着を見てしまったことによる動揺で平常心を保てなくなる。

   いつも履いているであろう一般的な女性用の下着ならまだしも、一花が履いているのは今日風太郎が自分の意思で選び、魅力を伝えた下着なのだ。なぜか風太郎もとばっちりを食らったかのような恥ずかしい気分を味わってしまう。そして、風太郎の心に不安が生じる。


(ていうか待ってくれ!  これじゃ、まるで俺が一花の下着が見たくて提案したって思われるんじゃ……!)


 決意を固めたかのような一花の真面目な表情はそういうことだったのかと、風太郎は納得してしまう。これはよろしくない。すぐに訂正しなければ変態のレッテルを貼られてしまうだろう。それに応じる一花も一花なのだが、今の風太郎に冷静な判断力はない。

 もはや風太郎の脳内は一花の下着のことで埋め尽くされていた。何が私の勇姿だ。勇姿とは下着のことだったのか。そして、男としては一花の勇姿(下着)を見て、どんな反応をするのが正解なのか。見なかったことにするべきか、それとも追求するべきなのか。もう何もわからない。先ほどの目に焼き付けろという発言をそういう意味でしか捉えられないほどに混乱してしまっている。それほどに一花の勇姿(下着)は風太郎にとって強烈なインパクトであった。

   思考がまとまらないうちに一花はロープウェイを遊び終え、風太郎の元へとゆっくり歩いてきた。


「フータロー、くん……」


   風太郎は一花の震えた声を聞いて正気を取り戻した。この後の展開は容易に想像できる。正月の時のように罵倒される未来が風太郎には見えていた。


「ち、違うんだ、一花……」


   一花は俯いており、かなりの羞恥心を感じているようだ。どう声をかければいいのか風太郎が悩んでいたところ、一花は頬を染めて上目遣いで風太郎を見つめ、並の男なら惚れてしまいそうな甘い声で言葉を発した。

 

 


「こーふん……した?」

 

 


「……す、するわけねぇだろ!  アホかお前は!」

「えへへ……予想外のハプニングですごい恥ずかしかったけど……でも、フータロー君がドキドキしてくれたなら……嬉しいなっ♡」

「ぐっ……!」


   照れ臭そうにしながらも笑顔の一花。そんな彼女の捨て身の攻撃に風太郎もたじろいでしまう。未だ顔が真っ赤なあたり、恥ずかしいのは本当なのだろう。それでも、引くことなく笑みを浮かべる一花に風太郎はドキドキしてしまっている。結局、ここでもいいようにやられてしまった。悔しくはあるが、反撃する気力は風太郎には残っていない。


「いっぱい遊んだね!そろそろお昼にしよっか」

「ああ、賛成だ……もう休みてぇ……」


   ようやく心の休まるであろう時間が訪れることに風太郎は安堵した。二人は荷物を置いたベンチへ戻り、春の暖かさを感じながらコンビニで買った昼食を食べ始める。

   先ほどとは打って変わって静かな時間を過ごすことになる風太郎と一花。そよ風がとても心地よい。一花がお昼寝を楽しめるのも納得だ。安らぎを得られる憩いの場であることに間違いはなく、風太郎はこの場所を知れて良かったと思えている。いい気分なこともあって食が進み、あっという間にランチタイムは終了する。


「あーお腹いっぱい。ごちそうさまでしたー」

ごちそうさん。……しかし、本当にのどかな場所だな。人の声も車の音もなんもしないぞ」

「田舎な上に、平日の真昼間だからねー。小学校が終わる時間帯を過ぎると、近所に住んでる子供たちがいっぱい遊びにくるよ」

「そうか、静かなのはこの時間だけなのか。それは貴重だな……ふぅ」

「……フータロー君、お疲れだね。振り回しちゃってごめんね」

「今更すぎるわ。お前たちに振り回されるのはもう慣れたさ」

「あはは……ではでは、そんな優しいフータロー君にはお姉さんがご褒美をあげましょう」

「いらん。どうせロクなもんじゃないだろ」

「むっ、ホントにそんなこと言える?  感触覚えてたくらいだし、気にいると思うんだけどなー。ということで……えいっ!」

「!?」


   風太郎の体力は五つ子の中で最も体力の劣る三玖と同レベル。ゆえに、三玖より体力のある一花に力で敵わないのは当然である。

   風太郎は一花に身体を掴まれ、そのまま横に倒されて───頭をがっちりと、一花のふとももの上に固定された。


「おっ、お前……!」

「ふふっ、どう?  気持ちイイ?」

「あぁ、この感触、いい具合に懐かしい……って、違う!  そんなことは思ってねぇ!」


   乙女の柔肌の威力は凄まじく、風太郎も思わず同意しかけてしまうほどの弾力と安心感である。そのうっかりを一花が見逃すはずもなく、さらに畳み掛けてくる。


「またまたー。私のふともも、あんなに堪能してたじゃん!  今更私に、遠慮なんてしないでっ」


   幸いにも一花の頭を抑える力は強くない。一花の言葉に反論しようと、風太郎は頭の向きを変えて彼女を見上げる。しかし、そこには中野家の五つ子特有の凶器、一花のぼんっ・きゅっ・ぼんっの最初のぼんっの部分が───


(────!!)


   反論の言葉は一瞬で消し飛び、風太郎は思わず声にならない悲鳴をあげそうになる。滑り台で背中に当たっていたものがこれほどまでに大きいものだったのかということを再確認してしまう。そして、一花の胸を見上げて連想してしまうのは先ほどのロープウェイでの一花の勇姿(下着)。デパートで買った下着を着用していることが判明した以上、その特大のメロンを包み込んでいるのも同じ───ダメだ、そこから先は考えてはいけない。

   とにかく、頭をこの位置で固定されるのは精神衛生上よろしくない。そう判断した風太郎は頭を動かし、目線を変えようとするが───


「ちょっ、どうしたの、フータロー君!?  顔、すごい真っ赤だよ!?  もしかして、私が振り回しちゃったから……!」

「!?」


   一花が風太郎の頭を今までより強い力で抑えつつ、顔を覗き込もうとしてきた。痛くはないがこれでは頭を動かせない。しかもそれだけではない。仰向けで固定された風太郎の顔に特大のメロンが急接近する。少しでも頭を動かすと、鼻が触れてしまいそうだ。


(待て待て待て!  本当、何考えてんだこいつは!  自分の身体が凶器だって自覚はねえのかよ!)


   いくら女体に関心のない風太郎でもこの場面で冷静でいることはできない。らしくもなく狼狽えてしまうが、どうにか一花に手を離してもらうように言葉を投げかける。


「お、俺は問題ない!  五体満足、健康そのものだ!  だからお前、とりあえず手を───」

「動いちゃダメっ!  私、本当に心配なんだよ。……大丈夫。落ち着いて。ゆっくり休めば、すぐ良くなるから。お姉さんが、ずっとそばにいるからね」

「いやっ、ちょっ、待ってくれって……!」


   あまりにも目に毒なこの状況に風太郎はパニック状態になってしまう。わざとなのかそうでないのか判断がつかない。表情と声のトーンからすると本気で心配しているように見えるが、先ほどまでの一花の行動と彼女の女優としての演技力を考えるとシロとは言えない。しかし力で敵わないうえに確信犯かどうかもわからない以上、全国三位の学力を誇る上杉風太郎の頭脳を持ってしてもこの問題の回答は思い浮かばない。


(……もう、このままでいいか……)


   このような状態で平常心を保てるわけもなく、さらにこれまでの疲労風太郎の体力の無さもあって、すぐに抵抗する気力はなくなってしまった。

 思考を停止させて無言になった風太郎を見て一花は落ち着いたと判断したのか、顔を遠ざけた。未だ見下ろされている状態なため胸が視界に映ることに変わりはないが、先ほどよりは全然良い。これにより、風太郎の心も少しばかり平静を取り戻す。

   この際、体力の回復に務めるのも悪くはないだろうと風太郎は結論づけた。この感触を味わうのは風太郎にとって三度目である。花火大会のあの時は眠っていたというのに一花を肩車した時に覚えていたあたり、よほど一花のふとももの感触は風太郎の記憶に刻み込まれていたのだろう。

   彼女に気づかれないように風太郎が再びひっそりと一花のふとももの柔らかさに安心感を覚えていたところ、一花が話しかけてきた。


「どう?  楽になった?」

「あ、あぁ……すまなかった」

「もうっ、そんな気にしないで。これはいつも私たちのために頑張ってくれてるフータロー君へのご褒美なんだから。私でよければ、いくらでも甘えていいんだからね」

「…………」


   そう言って、一花は頭を抑えていた手を移動させ、そのまま風太郎の頭を優しく撫でた。長女としての自覚がある一花らしく、その手つきは堅物な風太郎ですらとても安心できるものだった。先程までの緊張が嘘のように和らいでいく。食後で眠気が増幅したことに加え日々の疲れも合わさって、次第に風太郎の意識は微睡んでいった。

 

 

 

 

   一花はすやすやと自分の膝の上で寝息をたてている風太郎を見て、静かに笑みを浮かべていた。自分の演技が上手くなっていることに加えて、彼の可愛い反応を見ることができて、とても楽しい時間を過ごすことができた。


(言葉は直球でも、誘惑は変化球……うん、効果アリだったね)


   今までの経験から、風太郎には露骨に誘うような言葉よりも、無自覚、天然を装った誘惑の方が効果があると一花は考えていた。無論彼には普段の自分のキャラクター的に天然かどうかは疑われていたのかもしれないが、それでもなんとか強引に押し通して上手く風太郎を誘惑できたと思っている。

   妹たちも自分と同じモノを持っているが、一番彼に上手く使えるのは私だという自信が一花にはあった。一花自身も好きな異性を墜とすために自分の身体や衣類を利用した本格的なアプローチをするのは始めてで、当然羞恥心を感じていた。 けれども、その感情をほとんど風太郎に悟らせなかったのは成長と言っていいのではないだろうか。


(でも、やっぱお姉さんじゃない私は、自分勝手だな。自分のことばっかりだ)


   しかし、一花は風太郎をここまで心身ともに疲れさせてしまったことに少なからず罪悪感もあった。ここ最近は本当に勉強漬けだったことは一花も把握しており、その反動か今日もいつもより喫茶店の前を通るのが遅かった。それなのに、今日は自分のわがままを聞いてもらってばかりなのだ。結局、彼の優しさに甘えてしまっている。

   せめてこの時間だけでも、風太郎に安らぎを与えることができたらなと一花は思っている。本音を言えば花火大会の時のように寝顔を撮影したいのだが、気持ちを抑える。間違っても、自分がきっかけで起こすようなことはしたくない。


(かわいい寝顔……これだけは、私だけが知ってるんだ……)


   一花は風太郎を独り占めできるこの時間に心から幸せを感じていた。風太郎に自覚などないだろうが、一花にとっては今日は学校をサボって行う二人だけの秘密のデートなのだ。こんなにも彼と二人でいられる時間が素敵で楽しいものだとは思わなかった。もし彼氏彼女の関係になれたら、毎日こんな思いをすることができるのだろうか。仮に恋人になれたとしてもシャイな彼にイチャイチャしたいなんて注文は難しいだろうなと思いつつも、今日という一日をくれた風太郎に感謝している。


「いつもいつも、私たちのためにありがとう……大好きだよ、フータロー君」


   溢れる想いが止められず、言葉が出てしまう。聞かれていたらどうしようという不安がよぎるが、この数時間で一花の心は成長していた。聞かれていても、それならそれで改めて気持ちを伝えるだけだ、と開き直れる強さを身につけた。

   すでに直球勝負に迷いはない。風太郎が受け止めてくれるまで、何度だって挑む覚悟ができた。自分の想いを知って欲しいという気持ちが、一花に勇気を与えている。


(この流れならいける。今日で告白まで、やってみせるんだから!  覚悟しててよね、フータロー君!)