あいさつ

 

 

 

 

 

 

みなさま、お久しゅうございます。

一年間弱のコールドスリープから目覚めました。ないぴーです。

 

 

 

うん、この名前違和感半端ないです。吐き気を催すレベルです。フルはキツくて略称にしたのにそれでもダメです。だって普段やってるスマホゲーのハングルネームとは違うし…ホント、なんでこれにしたんだっけ?

せめてきゅーぴーにしときゃよかった…

 

 

 

 

 

 

コロナやべーなーとか相変わらず職場の最寄駅は人だかりやべーとか思うのですが、そんな自分の近況なんて死ぬほどどうでもいいです。

 

 

 

 


まず、最初に。

 

 

 

 


コメントをくれた方、本当にありがとうございます。そしてまったく気づくことができず申し訳ありません。

単に理由としまして、パス等を忘れてログインできなかったことにあります。ふとログインしようと思ってパスとアドレス入力しても、違うとしか言われない。

最終的にGoogleでサインインの項目ですぐあけることに気付きました。ただの馬鹿を晒しただけです。

 


しかし、自分のこんな自己満足でしかない駄作が、人の記憶に残り続けていたという事実。本当に、たまらなく嬉しいです。ただただ感謝です。

ただの自分用でしかない上に至らない点ばかりなのにもかかわらず、自分ごときの妄想に少なからず価値を見出してくれたことに、本当に心から喜びを感じています。

今更ながら返信はおこないました。恥ずかしいので見返さなくていいです。

なんならこの投稿もお酒の力を借りて行っています。氷結の無糖レモンが美味しいのなんの…ふだんはほろ酔いしか飲めないようなお子ちゃまなんですけどね。

 

 

 

あれのアニメの二期が終わったばかりですね。正確にはこれ編集時はアニメ最終話開始4分前です。投稿時はいつかわかりません。アマプラにありますが、自分はもはや見ようとも思いません。

これでも最初は五月五日、二期やる前、終わる前には投稿するっていって、どんどん伸びていったのはナイショです。

情けない話ではあります。まぁ収穫もありました。なんだかんだ考えが冴えてる時って、結構ひらめくものですね。

 


ていうか直近で最後にまともに見た深夜アニメが春にやってたプリコネです。二期楽しみです!アプリはガチャ回すだけですけどね。何をどうしたらいいか複雑すぎて全くわからんのです。

 


あと、なんかよーわからんパズルゲーだとかゲームも出たそうですね。自分はTwitterなどのSNSは一切やっていないために詳細はまったくわかりませんが。

ていうかSNS全般苦手なんです。前も言ったかもですがそんな自分がpixivにアップするとかホント異常なんです。承認欲求は人並みにあるんですけどね。

それだけ、多くの人を惹きつけてきたコンテンツなんだなと思います。

 

 

 

今となっては自分にとってあの作品は、大好きから大嫌いを教えてくれた作品です。ただただ自分は作品を見る目がないのだなと思い知るばかりです。

整合性の取れなさ、補完しようとする描写をいれても他所で発生する矛盾、挙げ句の果てに数々のインタビュー記事での嘘といって差し支えない本編の展開、キャラクター…挙げればキリがありません。

おかげで他の漫画でも作品の展開に対して疑いの目を持つようになりました。これはある意味成長なのだろうか…

 


一番悲しいのが、あれだけ好きだったキャラクターが、終盤になるにつれほとんどみんな好感度が下がってしまった点です。

主人公もヒロインもほぼ全員、今までのエピソードを台無しにされてばかりで、失望ばかりが心に残りました。鐘キスで主人公はお亡くなりになりましたね。

 


いや、ホント自分は作品を見る目がないです。でもこんな見る目ない自分でも、スクランブルエッグの問題点にはたんまり気づけたんですけどね。

あれは単行本で読んだ人と連載を追ってた人ですごく評価分かれると思います。

読者の年齢層は学生とか若い方が多いのかなと感じました。

あそこで切っていればよかったなーと思わずにはいられません。

 

 

 

 


でも、やっぱり。

一度は、本当に好きだった作品ですから。

やっぱ嫌いとかいいつつも、なんだかんだキャラクターには未練タラタラなんでしょうね。

今でも心に残っているのは否定できません。

 


好きな子はもちろん、他の子も成長を終盤で台無しにされて、かわいそうと思う程度には納得したくない終わりでした。

問題点も多々あれど、各々いいところもあったはずの子たちです。そういったものも全て無かった頃にされて、残念極まりないものです。

 

 

 

 

 

 

ということで、だからこその、続きです!

 


自分なりに、今まで書いたものの続きを書いてみました。

すでに上げている分の誤字脱字の訂正、加筆修正した部分等ありますが、展開に変わりはありません。

いろんな人に読んで欲しいので、pixiv様とハーメルン様に五月五日に投稿予定です。

 


所詮はただの妄想です。完全に自己満足です。ぼくのかんがえたさいきょうのごとうぶんです。にもかかわらず五等分じゃないです。主人公なんて完全に別人です。

 


でも、誰を選ぶにしても。

口が悪くてもデリカシーがなかろうと、ひとりひとりの心と向き合えるのが、初期の主人公だったと自分は思っています。

断じて自分が盗撮疑惑で痛い目を見たのに盗撮アルバムをプレゼントしたり、受験控えてる生徒放置して夏休み課題だけで済ませたりするような、無責任な主人公ではなかったはずなんです。

原作と同じ子を選んだにしても、本来の彼ならばもっと説得力を持たせるように魅せることができたと思うんです。

それはまぁなんといいますか、さまざまな裏事情が働いてしまった結果なんでしょう。なんであれそういったものが透けて見えるのはよくないと思いました。

 


いくつか注意事項を。

 


今もなおですが、コンテンツ自体に生理的嫌悪感を感じているレベルなので作品の情報はほぼ仕入れていません。矛盾等が発生していたら申し訳ありません。間違いがありましたらぜひとも指摘してください。

付け焼き刃の知識も多く、至らないと感じるところもあるかもしれません。その部分はかなりわかりやすいと思います。

 


あと、もうひとつ。

相変わらず独自の解釈ばかりです。読み直しても非常にテンポが悪いなと感じます。文がくどいというか、なんというか。

 


ですが、それでも抜けるところがないのです。ていうか原作は大事なとこ端折りすぎなんだよなぁ…説明不足なところ多すぎると思うんです

 

 

 

 


だけど、それだけ本気です!

 


自分なりに、魂こめたつもりです!!

 


時間をかけただけあって、なかなかのボリュームに仕上がりました!きっと、見てくれた人にも伝わるかと思います。

 


五等分の花嫁の物語は、主人公と五つ子、全員の成長の物語でなくてはならないと思っています。推しを公言している以上贔屓目なところばかりですが、それでも姉妹が五つ子ゆえの歪みを自覚し、それを主人公と触れ合う中で改善していく、というところに焦点を置いてみました。

その結果、同じような展開ばかりな上にひとりだけボリュームがとんでもないことになってしまいましたが…ごめんなさい、メンタル弱いので予防線張らせてください。もうすでにたんまりはってますね。

 

 

 

 


本当に、ゆっくり、自分のペースでいいんです。ダルかったら見なかったことにしていいんです。

ふと思い出していただいた時に、続ききてんじゃんみたいな軽い気持ちで読んでくださればこれほど嬉しいこともございません。

 


伏線なんてない一辺倒の面白みもないものではありますが、どうか、最後まで見てくれたら感無量です。

 

 

 

今更すぎるコメント返信

 

 

 

ハルさん、コメントありがとうございます!はてなブログでの返信の仕方がわからないので、記事にまとめちゃいます!

約一年三ヶ月振りですね!全然忘れててください!

 


でも、自分は覚えていました。友人に添削を頼んで、pixiv様にあげさせて、コメントがくると友達が教えてくれるんですよ。

ハルさんが毎回コメントくれてたの、しっかりと覚えてます。だからこそ、返信が遅くなってしまいごめんなさい。

 


人生に絶望だなんて、そんな大袈裟な…とは思いつつも、自分も終わり方にはショックだったので同じ気持ちの方と出会えて嬉しいです。

あれから一年経ちました。もう自分のこの妄想含め、五等分のことを忘れることができたなら、それはとてもいいことだと思います!正直、自分はまだ未練タラタラです。

 


そして、もしこの妄想を記憶に留めてくれていて。少しでも続きを期待してくれているのであれば、その期待には応えられるかと思います!望む展開かは分かりませんが。

自分なりにこの妄想の完結まで、先程書き終えました。

 


よかったら、見てくれたら嬉しいです!

本当に、コメントありがとうございました!

スタイルチェンジ #9

 

「ふー、間に合った……」


 無事に戦闘準備を整えて、電車に乗車できた一花。ここまでくればこちらのものだ。


(移動時間を考えるとちょうどフータロー君と合流できる時間なんだけど……大丈夫かな、待たせてないかな……)


 時刻は18時。日は延びてきている春であっても、辺りも暗くなりつつある時間帯である。プライベートでの外出ということで当然一花は変装用の眼鏡を装着しているが、彼女の美貌にまったく変化はなく、効果は今ひとつのようだ。

 一花のファッションは黒の肩出しブラウスと、風太郎の要望通りの青のスキニーパンツである。自分の正体がバレてないか、風太郎はこの格好に喜んでくれるだろうかなどという心配事が付き纏い、落ち着かない時間を車内で過ごす。だが目的地は遠くはない。10分ほど電車に揺られているうちに、目的地に到着した。

 駅員のいない駅なこともあってこの時間でも利用者はほとんどいない。一花が駅の改札を出てすぐに、風太郎の声が耳に届いた。


「来たか。おつかれさん、一花」

「ごめんねフータロー君、おまたせー……って、ええっ!?」


 一花が驚くのも無理はない。風太郎は、二輪乗用車───すなわち、バイクに乗って、待ち構えていたのだ。風太郎が語っていた見せたいものとはこれで間違いないだろう。


「ふっ、驚いたか。俺、バイクは免許持ってるんだぜ」


 ドヤ顔で自慢げに話す風太郎。実は免許を所持していることはすでに五つ子全員把握済みなのだが、一花はそれを口にしない。たまに見せるちょっぴり子供っぽい風太郎は一花にはとても可愛らしく思える。真実を話してその表情を曇らせたくはない。


「へぇー、そうなんだー!  お姉さん、びっくりだよ。でも、どうしたの、それ?」

「ああ、今日になって、親父から誕生日プレゼントってことでもらったんだよ」

「ウソっ、すごい豪華じゃん!  よかったね、フータロー君!」

「まぁ親父と仲良い同僚が譲ってくれた、中古のヤツなんだけどな。でも……乗り心地は悪くねぇわ。ほらよ一花、お前の分だ」

「えっ、いいの!?  ありがとー!」


 ヘルメットを一花に手渡す風太郎。風太郎はこれで一花とのタンデムツーリングを企てていたようだ。ワクワクに加え風太郎の嬉しそうな様子で一花の心は満たされて、自然と笑顔になる。


「あっ、そうだ、フータロー君。服、これで大丈夫?」

「おっ、頼んだの着てくれたのか。二人乗りするには、女はこの格好がいいらしいんだよ。ヘルメット買うついでにいろいろ聞いたんだが、そしたら遅くなっちまった」

「そっか、そういう意図があったんだ……」.


 一花は風太郎がこのような格好が好みなのだと思っていたが、どうやら違うようだ。てっきり自分の欲を風太郎が素直に言葉にしてくれたものかと思っていた一花は、自分の勘違いを少しばかり恥ずかしく思う。だが、風太郎もどこか落ち着きがない様子である。


「その……似合ってるぞ。今回はこういう形だから、万が一を考えてお前には長いの着てもらったが、バイク使わねー時は、できれば……」

「?」


 直視はせずにチラチラと、一花の足を見ている風太郎。褒めてもらえた嬉しさはさておき、一花は何か言いたそうな風太郎が気がかりだ。


「フータロー君?」

「…………」


   頬を染めつつも、意を決したような瞳の風太郎。そこから告げられる言葉は───

 

 

 


「……ふと……足が見えてる格好だと、嬉しい……」

「えっ」

 

 

 


 一花がこんな間抜けな反応をしてしまうのは当然といえる。いくら両想いの恋人同士といえど、普段の風太郎のキャラクターからは想像もできない発言なのだ。そんな風太郎は一花の反応を見て引かれたと感じたのか、慌てて己の発言を撤回する。


「やっ、やっぱナシだ!  今のは忘れろ!」

「フータロー君……!  もう、照れ屋さんなんだからぁ♡」


 好きな人が正直な好みを話してくれて驚きこそあれど、引くなどありえない。風太郎が一花を信頼し、愛しているからこそ打ち明けたのだと、少女は理解しているからだ。一花は笑顔で風太郎を受け入れる。


「私、すっごい嬉しいよっ♡  おっけー、次のデートの時はばっちり足が露出してるの着てくるから、楽しみにしててね♡」

「ろ、露出って……!  俺は別に───」

「あっ、スカートがいいかショーパンがいいかはちゃーんとメールで送ってよね♡」

「だーっ!  時間もったいねぇしもう行くぞ!  これ羽織ってろ!」


 ヤケクソ気味に言いながらも風太郎は一花の肩出しブラウスは冷えると思ったのか、自分の羽織っていたジャケットを一花に手渡す。そんな風太郎の気遣いが一花の心を暖かくする。次回のデートではぜひとも膝枕を堪能させてあげようと思いつつ、一花は風太郎の言葉に甘える。


「あったかーい♡  ありがとっ、フータロー君」

「しっかり掴まってろよ」


 ヘルメットを装着した一花は風太郎に掴まり、バイクが発進する。五つ子の中で二乃だけが経験していた、風太郎とのタンデムツーリング。普段の風太郎とのイメージと違いすぎるとは思いつつも、可笑しげに話す二乃を一花は羨ましいと思っていた。


(うわぁ……夢みたい……!)


   それを自分が、彼女として風太郎の後ろで経験できているという事実。一花の幸せ度数は限界突破し、心は風太郎への愛でいっぱいになる。積極的に胸を押しつけてメロメロ具合をアピールしたいところではあるが、いかんせん運転中の風太郎の集中力を乱すわけにもいかない。風太郎にもっと甘えたいのに甘えられないむず痒い思いが、一花の全身を駆け巡る。


「ていうか、行き先とか決まってねぇな……一花、どっか行きたいところあるか?」

「どこでもいいよー。フータロー君とこうしてられるだけで、私とっても幸せだもん♡」


 それでも、一花にとってこの時間が幸せなのは間違いない。風太郎からは見えるわけがないが、一花の表情は非常に緩んだものとなっている。しかし、すぐに一花は己の発言を後悔した。


(……失敗した。むしろフータロー君考えこんじゃうかな)


   紛れもない一花の本心なのだが、自分のわがままで余計な考え事をさせたくないのもまた事実。しかし家の近所まで出るとお忍びデートが五つ子の誰かに見られる可能性がある。だけどこんな時間からホテルはさすがにはしたないだろうし、そもそもこの時間から入れるのかだとか停めれる場所はあるのかなどと考えを張り巡らせていたが、風太郎の声によって強制的に現実に引き戻される。


「そうか。なら軽くその辺走ったら、ファミレスかなんか行って休憩しようぜ。なんだかんだ飯にもいい時間だろ」

「えっ!?  う、うん。ありがとね」


 てっきりそういうのが一番困る、などと返されるものかと思っていたばかり、一花の返答はどもったものになってしまう。

 だが、雰囲気は最高そのものだ。周りは車通りの少ない住宅街。夕方を過ぎていることもあって町の住民はすでに家の中。響くのはバイクの走行音のみ。正真正銘、一花と風太郎の二人だけの世界が広がっている。


(ホント、幸せ……大好き、フータロー君……)


 一花は今がある幸せを噛みしめる。数えきれないほどの間違いを犯した。愚かで馬鹿な自分には風太郎と結ばれる資格はないと思っていた。それなのに、今こうして一花は風太郎と同じ時間を恋人として過ごしている。もう何があっても、手放したくない。

 想いにふける一花はしばらく沈黙を貫いていたが、何かに気づいたのか風太郎に声をかける。


「あっ、見て!  フータロー君!向こうの方、桜咲いてるよー!」

「おお、ホントだな。だいぶ散りかけのが増えてる中、珍しいな。……行ってみるか?」

「いいの!?  やったー!  ありがとっ♡」


 クラスメイトが見たら驚くであろう、子供のようにはしゃぐ一花。少なくとも異性では風太郎しか知らないであろう一花の顔だ。

 風太郎に身を任せバイクが細い道に抜けると、突き当たりに桜の木のある広場が見えた。


「おつかれさまっ、フータロー君」

「おう」


 バイクを道の傍に置く風太郎を待ち、一花は風太郎と共に二人して桜の木によりかかる。二人だけの静かな空間に、心があらわれるのを感じる。


「静かだねー。とっても落ち着くなぁ」

「そうだな。思えば、一花とはこういう場所で二人きりになることが多いな」

「あっ、確かに。しかも今日も含めて、大体夜だよね。フータロー君、よく覚えてるねー」


 作り笑いを見抜いてくれたあの日。自宅のベランダで風太郎にアドバイスをしたあの日。風太郎に夢を応援してもらったあの日。一花が一生忘れることのない、風太郎と心を通わせた場所、その記憶。全てが一花にとって、かけがえのない大切なものだ。


「忘れるわけないだろ。ていうか、お前こそちゃんと覚えてるじゃねぇか。もっとその記憶力を勉強に活かしてほしいもんだぜ」

「えへへー♡  でも今度から、フータロー君が個人レッスンもしてくれるんでしょ?  私、頑張っちゃうんだから!」

「おう、期待してるぜ」


 そして、その思い出は風太郎の記憶にもしっかりと刻まれている。優しく微笑む風太郎は高校で出会った頃の仏頂面からは考えられない姿だ。時を重ねて絆を深め、お互いの愛を知ったからこそ、今の二人の時間がある。


「なぁ、一花。修学旅行の件で提案があるんだが」

「なーに?  聞かせて聞かせてっ」

「俺たちにもいろいろあるから難しいかもしれないが、最後の一日くらい、一緒に回らないか?」

「!?」

「最終日はコース選択式だ。映画村、候補にあっただろ。よかったらいろいろ教えてくれよ」

「えっ、ええっ?」


 唐突に一花に降り注ぐ、修学旅行でもお忍びデートをしようという風太郎の提案。恋人になったとはいえど、普段のドライな印象と正反対の、積極的な今日の風太郎に一花は驚かされてばかりである。

 一方風太郎は喜んでくれると思ったばかりに戸惑う一花に不安を覚えたのか、自信のない声で一花に問いかける。


「……嫌、だったか?  あいつらと一緒にいたいなら、無理強いはしないが……」

「ちっ、違うの、すっごい嬉しいんだけど……でも、班決まっちゃってるでしょ?」

「幸いにも前田も武田も去年のお前のクラスメイトだ。話はスムーズだろ、前田はまだ俺たちの関係を誤解してる可能性もあるしな」


 すでに風太郎と二人きりで同じ時間を過ごすだけで十分満たされている一花の心に、まだまだ風太郎から愛が注がれる。それでも、お腹いっぱいには程遠い。スイーツと同じように、大好きな彼氏からの愛は別腹なのだ。


「いいの?  私と、一緒で……」

「俺は一花と一緒がいいんだ。せっかくの京都なんだぜ、お前と思い出を作りたいんだよ」

「……!」

「だから、嫌じゃないなら……俺と、付き合ってほしい」


 一花に断る理由など一ミリもない。好きな人と恋人になれて浮かれているのは自分だけではないということに、喜びを感じる。


「うん、いいよ!  誘ってくれてありがとう。楽しい思い出、たっくさん作ろうね♡」

「おう。俺の方こそ、ありがとな」


 お互いに感謝を伝えつつ、優しい笑顔を恋人に向ける。高校生らしい、青春を謳歌するカップル。まさしく、一花が自分の本心を自覚してからずっと望んでいた光景である。このままふたりで、いつまでも一緒にいたい。永遠に、甘い時間に浸っていたい。だけど。

 

(……うん。浮かれてるだけじゃ、ダメだよね)


 たくさん愛を伝えてくれた風太郎。だが、そんな風太郎には為さねばならない目標があるのだ。


「ねぇ、フータロー君。話さなきゃいけないことがあるんだけど、聞いてくれる?」

「ん?  どうしたよ、一花」


 自分の心の迷いは間違いなく風太郎の足枷になる。それを理解している一花はひとりで抱え込まず、正直に己の弱さをさらけ出す。風太郎と出会うまでの一花ではまずなかったであろう、彼女の成長のひとつである。


「あのね……私たちが恋人になったこと、五月ちゃんにバレちゃった」

「!   俺のせいか……すまん。 五月は、なんて言ったんだ?」

「……応援してくれるって。今までの私を認めてくれて、あなたたちの味方ですよって、言ってくれたの。私、五月ちゃんに私たちのこと話すのやめろって言ったのに、あんなに醜い自分を見せたのに。嫌な顔一つせず、笑顔で受け入れてくれたんだ」


 昨日五月に対して、姉である自分との決別を告げた一花。今までの自分を棄てることに躊躇いはなくとも、そこに後ろめたさがないわけではない。長年長女として在り続けた一花の妹たちへの想いは風太郎への愛にこそ負けるとはいえど、完全に消えてはいないのだ。


「マジでか……ありがたいことだな」

「うん。本当にとっても嬉しかったんだけど……他のみんなはどうだろうって、思わずにはいられないの」

「…………」


 風太郎が隣にいてくれるのに、一花は自分に自信が持てない。自分に前科があるという事実が、彼女をネガティブにさせている。


「ごめんね、フータロー君……今まで何度も励ましてくれたのに、めんどくさいよね、私。だけど……不安なの。お姉さんじゃない私が、自分勝手でわがままなのは事実。だから、みんなは認めてくれないんじゃないかって、どうしても考えちゃうんだ」

「……そうか。今までずっと、長女としてあいつらを導いてきたんだ。お前の不安は、当然なのかもな」


 何があっても一花が五つ子の長女という事実は消えない。今まで辛いと思ったことはないが、最近は悩まされがちである。

 一花は話を聞いてくれる風太郎の優しさをありがたく思いつつも、弱い姿を見せていることに申し訳なさを感じている。自分の心の弱さをひた隠しにしていた一花は、弱音を吐くことに慣れていないのだ。

 対して風太郎は自分の答えはまとまっているのか、迷いなく一花に告げる。


「二乃や三玖の感情はそれぞれあいつらだけのものだ。俺がこうしろって、強制することはできねぇ。ただ、他のやつらがどう思おうが、俺の気持ちは変わんねぇよ」


 風太郎は一呼吸おいた後、真っ直ぐに一花を見据える。そして───

 

 

 


「俺たちは恋人で、俺は一花だけを愛してるんだ。いくら二乃や三玖が俺のことを好いてくれようが、二人の想いに応えるつもりは一切ない」

 

 

 


 一花のハートを貫く、風太郎のストレート。なんて。なんて、強くて、優しいのだろう。


「もちろん、みんな揃って笑顔で卒業。それを達成するために俺は全力を注ぐつもりだ。五月が応援してくれるなら、友達としてその信頼を裏切りたくない。あいつの優しさに、応えたい。……だけど、もし仮に、失敗したとしても。あいつらがなんと思おうと俺は、一花に隣にいてほしい」


 一花至上主義を貫く、と宣言する風太郎。大好きな彼氏が、隣にいて支えてくれることが。何があっても自分だけを愛してくれるという疑う余地のない事実が、嬉しくて、嬉しくて。


「フータロー君……」


   感極まって、涙がこぼれてしまう。


「っ、一花……でも、これが俺の答えだ。自分勝手なのは俺だって同じなんだ。お前が、こんな俺をどう思うかわからないが、俺は───」

「そんな、悪く思うなんてありえない。私、すごく幸せなの。最低なの、わかってるのに。大好きなフータロー君が、私だけを愛してるって言ってくれることが、本当に、どうしようもなく嬉しいの」


 やはり、この気持ちは曲げられない。飾らずに素直な気持ちを表現することが、風太郎の愛に対する最大の誠意だと一花は理解している。


「私も、フータロー君といつまでも一緒にいたい。もしも妹たちとフータロー君、どっちかしか助けられないなんて状況になっても、私は迷わずフータロー君を選んじゃう。君が隣にいてさえくれるなら、きっと私は笑える」

「……一花」

「だからこそ私は、フータロー君を支えたい。君が掲げた目標を達成するために、全力を尽くしたい。私だって、みんなに認めてもらいたいって気持ちに偽りはないし、なにより、フータロー君の幸せは私の幸せなんだから」


 独り占めしたい。私だけを見てほしい。一花の独占欲は完全に消えたわけではない。しかし、風太郎に触れて、一花も学んだのだ。独りよがりな愛を振りかざすだけでは、相手を苦しめてしまうと。それでは最終的には、誰も幸せになれないと。愛を与えてくれた分、自分からも返したい。この気持ちこそ、忘れてはいけない大切なものだ。

 初めは二乃への対抗心から決意した、一花のスタイルチェンジ。その内に秘めたものは風太郎に好かれたい、自分と同じ気持ちにさせたいという、欲にまみれたものでしかなかった。

 だが、一花は昨日一日風太郎と共に過ごす中で、風太郎が自分の愛に救われたということを知った。姉であり続けた自分を風太郎に褒めてもらえた。自ら愛を与えた風太郎によって、一花は風太郎に好かれたいと思うあまり忘れかけていた愛、そして、夢を応援してくれたことへの感謝の心───最初に愛を与えてくれたのは風太郎だということを、思い出すことができたのである。

 だからこそ一花は自分の嘘も打ち明けた。ありのままの自分、そして嘘すらも受け入れてもらえたのは、風太郎が一花の愛を真実だと確信してくれたからなのだ。


「ありがとな。一花にそう言ってもらえて、すげぇ嬉しい。だって、俺も特別な生徒は一花だけなんだからな。もしお前たち全員が同時に危機的状況に陥ったとしても、俺が真っ先に助けるのは一花だ。ひとりを選ぶっていうのは、そういうことなんだろう」


 だからこうして、風太郎も一花の想いに応えるのである。身勝手な主張ではあるが、それでも一花にはたまらなく嬉しい。心が通じ合っているという証明。一花と風太郎は、互いに同じ気持ちなのだ。風太郎の愛によって、ようやく一花の心から迷いは消えた。


「すべてを得ようだなんておこがましいんだ。俺たちの幸せは、あいつらにとって不幸にあたるのかもしれない。だけど、それでも俺は、一花だけが好きなんだ。二乃たちに傾くことはもうありえない。だって、俺の幸せは、望みは───」


 恋人になってまだ二日目ではあるが、お互いに積み重ねた愛はその比ではない。一花も風太郎も、互いの存在がなければ、女優として輝くことも、家庭教師を続けることも叶わなかったのである。今の自分は、恋人の存在なくして語れない。二人ともそれがわかっているからこそ、相手の全てを愛で受け止める覚悟が備わっているのだ。


「一花がいつまでも、笑顔でいてくれることなんだ。……叶うなら、俺の隣でな。だから……もっと、俺に甘えてくれ」


 穏やかな笑みで愛を与えてくれる風太郎。少女が心のどこかで望んでいた、甘えたいという願望。心はすでに風太郎への愛で溢れかえっている。それでも、一滴たりともこぼすつもりはない。風太郎が頬を染めながらも、目線を逸らさずに伝えてくれた真剣な想い。応えなければ、彼女失格だ。


「……私たち、ホント自分勝手だね」

「いいんじゃないか?妥当な評価だろ。俺たちにはお似合いだ」

「ふふっ、フータロー君にお似合いって思ってもらえるだなんて……食堂で出会った頃からは想像もできないな」


 一花は両手で風太郎の手を包み込む。たっぷりと、ありったけの愛を込めて。


「フータロー君。好き。大好き。何度言葉にしても、ちっとも足りない。花火大会のあのとき、作り笑いを見抜いてくれた君が」


   素直な気持ちを、大切に。


「林間学校の倉庫で夢を否定することなく、応援してくれたあなたが」


 君の心を、私の愛で満たしたい。君が私に、してくれたように。


「そして、今。私の全てを受け入れて、愛してくれるフータロー君が。愛おしくて、恋しくってたまらないの」


 だから、私は。


「一花……」

「今だってドキドキが抑えられない。フータロー君への想いが、愛が止められないの。だから───聞いて」


 君が幸せを感じてくれる、私の笑顔で───

 

 

 

 

 


「たくさん私に愛をくれて、ありがとう。だから、私にもいっぱい、甘えてほしいな」

 

 

 

 

 


「─────」


   一花が手を離した直後、風太郎に両手で肩を掴まれる。それを受けた一花は風太郎を見上げ、無言で目をつむる。視界は真っ暗でも、男らしい強さを感じる風太郎の眼差しは頭から離れない。真の愛で結ばれている二人に、言葉などいらない。二人の顔が接近し、唇が重なろうとした、その時。

 

 

 


「ぐぅ〜…………」

 

 

 


 空腹の知らせを告げる、あまりにも雰囲気にそぐわない音が鳴り響く。発生源は風太郎のお腹の辺りだ。


「…………」

「…………」


 一花の肩から手が離れる。それに伴い目を開く。少女の視界には冷や汗を掻く風太郎。さすがにこれは堪えきれない。


「ぷっ……あはははっ!  もう、ホント締まらないんだから!  フータロー君、かわいいなぁ♡」

「う、うるせぇ!  からかうなよ……死にてぇ」

「ねー、いい時間だし、お腹空いちゃったもんねー♡  そんなこともあろうかと……♡」


   弄りがいのある風太郎を見たことにより、一花の心の小悪魔スイッチがオンになる。悪戯心に満ちた彼女が鞄から取り出したのは、風太郎と会う時間帯的にあって損はないと考えて多めに買っておいたパン。外食は風太郎の財布には厳しいと思い、いくつか残しておいたのだ。


「じゃーん!  みんな大好き塩バターロールでーす!」

「お、おう……名前からして美味そうだな」

「でしょー?  これをフータロー君に差し上げましょう!」

「いいのか?  助かる……サンキューな、一花」


 からかわれた後ではあるが、素直に礼を口にする風太郎。ヘルメット代が想像以上に財布に大打撃を与えたこともあって、一花の気遣いを非常にありがたく感じていた。

 しかし、風太郎の感謝の気持ちは一花には正しく伝わっていない。昨日からお預けを二度も食らっているのに、意地悪しないなんて選択肢は彼女にはなかった。一花の藍色の瞳の奥にはすでにハートが宿っていることに、風太郎はまだ気がついていない。


「……一花?  なんで千切るんだよ?  そして千切るにしては小さすぎる気が……」

「これでいいの。あむっ」


 一花はパンを咥えて風太郎を見上げ、再び目をつむる。即ち───

 

 

 


「ふぁい、ふーふぁふぉーくん♡」

「!?」

 

 

 


 何事も、何度でも挑戦。風太郎に指し示す、ワンモアキスの精神である。


「い、一花……」

「ふぉーぞ、ふぇしぃあがれっ♡」


 言葉こそあやふやでパンを咥えているという違いこそあるが、一花のポージングは先程と同じキス待ちの姿勢だ。鈍感さには定評のある風太郎でも、彼女が何を期待しているか理解できないわけがない。


「んー、んー♡」

「っ……」


   暗に早くしろと、もう一度キスしろと促す。声のトーンからして、風太郎が動揺していることは目をつむっている一花にも明らかだ。視界が真っ暗であるがゆえに、どのタイミングでキスするのかわからないというスリルがたまらない。しかし、風太郎が下す判断は一花には容易に想像できる。ヘタレな風太郎は声を荒げ、強引にパンを奪うだろう。


(まぁ楽しいし十分幸せだし、そろそろいっかなー……)


 そう結論付けて一花がネタばらししようとした、その矢先。

 少女の口先に伝わる感触。咥えたパンが離れ、隙だらけの唇が塞がれる。


「んむっ……!」


 自分が仕組んだにも関わらず、一花は思わず目を見開く。しかし、すぐに驚愕は喜びへと変換される。当然一花は自分から唇を離すつもりはない。限界まで、風太郎を味わいたい。少しパンの味がするキスではあるが、これもまた今の一花には興奮の材料だ。


「んはっ……はぁ……」

「ぷはぁ……ふふっ……じゅるっ♡」


 お互いに息苦しさが極限に達し、唇が離れる。恥ずかしそうに明後日の方向を向く風太郎に対し、キスの味を少しでも長く残したくて舌舐めずりをする一花。風太郎との粘膜接触は一花にとって強烈な媚薬なのだ。すでに小悪魔スイッチは切り替え不能である。一花は誘うような甘い声で、風太郎の脳を刺激する。


「もう、やだぁ、フータローくん……だいたぁん♡」

「……自分で仕掛けといて何言ってんだよ……」

「えへへ……とっても、美味しかったよっ♡」


 昨日から数えてキスは計四回。お互いに二回ずつ試行している。自分が仕向けたことだが、風太郎からのキスは一花には何よりの幸せであった。だけど、もっともっと満たされたい。風太郎限定のキス魔と化した一花はこれしきでは止まらないのだ。


「じゃあ次は、私のキス……ううん、食事の時間だね♡  フータロー君、どーぞ♡」

「はぁ!?  もうやんねーよ!  おかげさまでお腹いっぱいだ!」

「ええ、そんなぁ……せっかく、ウインナーパンがあるんだよ?  これはもう、私としては咥え……ヤるしかなくない?」

「さっきから何一つ訂正できてねぇよ!  ていうか食べ物で遊ぶな!  犯罪だぞ!」

「べつに食べ物じゃなくても……その、フータロー君のウインナーはあるでしょ?  た、たぶん私のサイズなら、十分挟め───」

「む、胸寄せてんじゃねぇよドアホ!  外でヤるとか非常識すぎるだろ!」

「じゃあ室内でヤるなら───」

「黙れ黙れムッツリスケベ!  もう飯食いに移動するぞ!  俺が奢るから許してくれ!」

「……無理してない?  私奢るよ?」

「なんでそこで普通の反応に戻るんだよ!  滅多にない俺の奢りだぞ!  ありがたく思え!  思ってください!」

「むー……フータロー君のヘタレ……」


 思い通りの展開にならず、頬を膨らませる一花。自分の信念をしっかりと持っている風太郎だが、今は必死に一花の誘惑から逃れようとしている。彼女への愛を言葉で伝えるのは100点満点でも、一花が肉体的接触を匂わせると露骨にたじろぎ情けない姿を晒してしまっている。リア充デビューを果たしても、まだまだウブな男の子ということだ。

 だが、そんな男らしくない姿も一花にはとても愛らしい。幻滅するなどありえない。声も性格も、その在り方も。風太郎の全てを愛しているのだから。


「しょうがないなぁ……でも、ご飯食べに行った後は……ね♡」

「バカ、解散に決まってんだろ!  バレるリスク考えたら朝帰りとかありえねぇ!」

「えー、まだ私何も言ってないよ?  フータロー君のおちゃめさん♡」

「おちゃめでもなんでもいいわ!  寒くなってきたし早く行くぞ!」

「はーい♡  ぎゅーって抱きしめて、あっためてあげるねっ♡」

「〜っ!もう好きにしろ!」

 

 

 


 愛を学んだ長男と長女の恋愛模様。そんなわがままなふたりの物語は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 


「フータロー君、大好きだよっ!」

「……俺も大好きだぞ、一花」

 

 

スタイルチェンジ #8

 


 末っ子、襲来。

 


  一瞬にして一花の苛立ちは空の彼方へ吹き飛んだ。独占欲の強いわがまま少女の一花でも、修羅場待ったなしのこの状況でむしろ見せつけてやりたい、と思えるようなメンタルは所持していない。


(でも、二乃相手だったら、正直……いやいや、さすがにヤバいか。ちょっとそそるものはあるけど……ダメだな、私)


   相変わらずの自分の意地悪さに辟易しつつも、一花は外したボタンを付け直し服装を整える。あまり五月を待たせると、風太郎の家族が帰ってきて鉢合わせしてしまう可能性もあるのだ。時間に余裕はまったくない。


「い、五月……なんでこのタイミングで……でも、他のやつらじゃないだけマシか……?」


 予想外の来客に、風太郎はまだ気持ちの整理がついていないようだ。だが、うろたえている姿も一花にはとても可愛らしく見える。ならば、ここは彼女として愛する彼氏の為に人肌脱ぐ場面だ。一花はお姉ちゃん&女優モードにスイッチを切り替えて、風太郎に話しかける。


「うーん、さすがにこれは中断しなきゃだね……大丈夫、お姉さんにまかせてっ、フータロー君」

「……一花?い、いや、ここは俺が行く。お前は靴持って風呂場にでも隠れて───」


   一花はウインクをしながら人差し指を風太郎の唇に当てる。指に伝わる風太郎の唇の感触に再びキスしたい欲を抑えつつ、お茶目な笑みを浮かべ一花は告げる。


「心配無用だよっ♡  だって私は、嘘つきだもん。だ・か・ら……おとなしく、してるんだぞ♡」


 今こそ風太郎が褒めてくれた、立派な嘘つきとしての女優魂を見せる時だ。一花は立ち上がり、玄関へ向かう。そして、自分がこの場にいるのが当然と言わんばかりの堂々とした素振りで、ドアを開けて五月を出迎えた。


「はーい五月ちゃん、いらっしゃーい」

「!?  ええっ、いっ、一花!?  どうして、ここに……」

「えへへー。なんででしょーかっ」

「まっ、待ってください!あなた、今日お仕事だったはずでは……?」

「もうとっくに終わったよー。だから、フータロー君と、ふたりっきりで……きゃっ♡」

「ど、どういうことですか!?」


 風太郎との時間を思い出し、自分の右頬に手を当てて余韻に浸る一花。その蠱惑的な姿に、真面目な五月は顔を赤くし一花を問い詰める。それが一花の狡猾な罠だとも知らずに。


「えー、五月ちゃんだってわかるでしょ?  男と女が二人きりでヤることなんて、そんなの決まってるじゃん♡  フータロー君が私を求めてくれて、嬉しかったなぁ……」


 この状況で、風太郎とのイチャイチャを五月に伝える理由。五月を煽るだけでメリットはないように思えるが、嘘つきの一花はよく理解している。

 嘘を信じ込ませる時のコツは、ある程度の真実を交えて説得力を持たせることだ。一花が応じた時点で、いくら否定しようが五月の心には少なからずサボりなのではないか、という疑念が生じているであろう。そこを敢えてすぐには否定しない。五月が危惧した通りになってしまった、という焦りを見せたところですかさず本命を切り出すのだ。


「そ、そんな、あなた、まさか……はっ!?」

「もうっ、相変わらず五月ちゃんはカワイイなー。じょーだんだよっ、じょーだん。仕事終わってフータロー君に連絡したら風邪で休みって聞いたから、看病してたの」


 大胆な発言の後に、一花は四葉のような歯を見せる悪戯っぽい笑みを浮かべる。この表情によって、五月は一花の発言を自分をからかっただけだと誤認するであろう。なにより、このような大胆な発言は中野一花という普段のキャラクター的にもまったく違和感はない。長女として妹をよく理解しているだけでなく、女優としての演技力を兼ね揃えている一花だからこそできる芸当だ。


「よ、よかった、そういうことでしたか……でも、心臓に悪すぎます!  いくら冗談でもタチが悪いです!」

「からかっちゃってごめんね。もちろん私も何もなければ学校行こうと思ったんだけど、らいはちゃんも学校じゃない?  誰も看病できる人がいないから、フータロー君が、心配で……」

「……なるほど。確かに、その考えはごもっともですね」


 実際に、効果は抜群のようだ。青ざめていた表情の五月だったが、すでに落ち着いて平静を取り戻している。

 表情は心配の色を浮かべている一花だが、本心はそんなことはない。表情と声の抑揚に変化をつけることは、女優として朝飯前である。このままうまく誘導すれば、やり過ごせる。あとは彼女と一緒に帰宅すれば、一花の完全勝利だ。今日はもう風太郎の顔を見ることは叶いそうにないが、しかたない。

 これが警戒されている二乃であれば即修羅場なのだが、今回は一花にとって相性がよかった。無事に思惑通りに事が進み、一花は心の中でほくそ笑む。しかし、まだ油断してはいけない。一花は慎重に五月を安心させるような言葉を選び、何事もなかったことをアピールする。


「そういうこと。五月ちゃんも、フータロー君を心配して来てくれたんでしょ?  二人がすっかり仲良くなったみたいで、お姉さん嬉しいなー」

「……ま、まぁ……上杉君は友達、ですから。ついでにらいはちゃんのカレーも食べれたらななんて、思っていませんからね」

「あれ、そっちが本命?  とりあえず、フータロー君今は落ち着いて寝てるから、大丈夫だと思うよ。だから五月ちゃん、カレーはまた次の機会にして一緒に───」

「そういうわけだ。悪いな、五月。無駄足運ばせちまったみたいだな。あと、らいははまだ帰ってきてないぞ」

「!?」


 彼氏、参上。


「えっ、ちょっ、フータロー君!?  あっ、おっ、起こし、ちゃった……?」

「上杉君……体調は、大丈夫なのですか?」

「聞いての通りだ。授業に勤しんでいるお前たちに頼るのは申し訳なくて、一花に甘えることにしたんだ。ありがとな。でも、おかげですっかり回復した」

「え、えっと……うん。元気になったみたいで、よかったよ」

「…………」


 玄関で五月の相手をすることで風太郎の仮病を悟られないように考えていた一花にとって、風太郎の登場は想定外であった。動揺が声にも表情にも表れてしまうが、それでもなんとかアドリブでこの場を取り繕う。

 でも、厳しいかもしれない。心なしか五月の視線は訝しげなものに変化している気がする。


「まぁ、そんなわけで俺はもう大丈夫だ。心配かけさせたようで、すまなかった。明日からは普通に登校できると思う」

「……わかりました。お大事になさってくださいね」

「せっかく来てくれたのに悪いな。あいつらによろしく言っといてくれ」

「……じゃあ、私も帰ろうかな」

「……そうか」


   風太郎と二人きりの時間を手放すのは心苦しいが、五月を一人で家に帰らせるわけにはいかない。五月は姉たちに風太郎と一花が二人でいたことを話す可能性がある。一花はそれを望んでいない。


(それだけは絶対に避けなきゃ。このタイミングでバレるのは困るし……なによりフータロー君の目標のためにも、私も含めてみんな仲良し五つ子の生徒でいなくちゃいけないんだから)


   不安の芽は潰さなければならない。看病という嘘の出来事であっても、自分が風太郎といたことを二乃や三玖に知られてしまったら、かなり厄介なことになる。そんな考えから一花も五月に続き、靴を整えて上杉家を去ろうとしたのだが、そこに彼氏の声が突き刺さる。


「一花、ちょっと来い」

「んー?  どうかした?」

「今日は本当にありがとな。お前のおかげで、良い一日を過ごせたわ」

「そ、そう、かな?……えっと、どうしたしまして」

「気をつけて帰れよ。もしお前が体調崩したら、今度は俺が看病してやるからな」


 一花は風太郎に腕を引き寄せられる。そして彼は、耳元で───

 

 

 


「……その、続きは……また今度な」

 

 

 

 

「一花、聞きたいことがあるのですが」

「…………」

「……一花?  聞こえていますか?」

「は、はいっ!  どうしたの、五月ちゃん?」

「上杉君とは、本当に何もなかったのですか?」

「むー?  ひょっとして私、信用ない?」

「そんな、拗ねないでください。そういうわけではありませんよ」


 上杉家からの帰り道。同じ顔の少女が二人、横並びで歩いている。姉妹とわからない者には異様な光景に見えるだろう。

   一花の疑問に対し穏やかな笑みを浮かべる五月。母であることを望む末っ子は、姉である一花に確認したいことがあった。足を止めて立ち止まり、自分の想いを一花に語る。


「私は、一花のことを本当に尊敬しています。この数ヶ月間あなたはずっと、私たちのために生活費をひとりで負担してくれていました。私も働くようになって、一花がどれほど大変な思いをしていたのかを知りました」

「あはは……働くのって難しいよね」

「はい。年明けからひとりだけずっと仕事と勉強の両立を頑張っていたあなたは、とても立派な長女です。だから、みんなのために頑張れる一花には、幸せになってほしい。心からそう思っています」

「……ありがと」


 無論、一花だけではない。姉全員の幸せを、五月は願っている。だけど、一花は。


「昔はあんなにやんちゃだったのに、変わりましたね。ですが、そんな率先して変わってくれた一花だからこそ、みんな信頼しているのですよ」

「本当に、そうかな。私は、何も変わってなんか……」

「もう、自信を持ってくださいっ。でも、私たちは……そんな一花の優しさ、在り方、その強さに……甘えすぎていたのかもしれませんね」


 姉としての責任感の強い一花は、自分の弱さを妹たちに一度たりとも晒すことはなかった。少なくとも五月の記憶にはほとんどない。それなのに一花はいつも笑顔で、優しく五月たちを包み込んでくれた。


(私たちは五つ子なのに。一花はいつだって、私たちのことを考えて……)


 今の五月にはそれが辛い。五つ子なのに、母親なのに、一花の立場になって考えてあげることができなかった。姉である一花なら自分でなんとかするだろうと、それが一花の当たり前なのだろうと、決めつけていたのだ。それは、見方によっては突き放すような無慈悲な信頼である。本当は、一花だって頼りたいと思うことがあったかもしれないのに。


「一花、私たちは五つ子です。五つ子は喜びも悲しみも、全て五等分です。それなのに、あなたは……ずっと、私たちの姉でいてくれました。だから、なんですよね。あなたが上杉君を好きになった理由、ようやくわかりました」

「!?」

「やはり、そうなのですね。仕事というのも嘘なのでしょう?今日はずっと二人だけで、過ごしていたとみました」

  

 驚愕と焦りの入り混じる表情を見せる一花。いくら女優として演技に慣れていても、核心をつけば揺蕩う様を見せるのはまだ彼女が年頃の少女であるという証明だ。一花が嘘をついていたことに対する怒りは一切ない。むしろずっと遠くへ行ってしまったと思っていたばっかりに、少し五月は安心感を覚える。


「ど、どうして……」

「あなたたちの様子を見る限り、あなたの恋がうまくいったことは察しがつきます。思えば林間学校の時には、すでに信頼を寄せていましたものね。……おめでとうございます、でいいのでしょうか」


 五月は素直に祝福の言葉を口にする。だが、一花が五月に向ける視線はとても冷ややかなものだ。


「……そっか。そういえば、五月ちゃんには見られてたっけね。で、どうするの?」


 冷徹な瞳と声で五月に圧をかける一花。五月が初めて見た、普段の一花からは想像もできない一面。しかし、五月は臆することはない。答えなど、最初から決まっているのだ。


「どうするの、とは?」

「みんなに、私とフータロー君のこと、言うの?……悪いけどお姉さん、それは絶対に認めないから。フータロー君の目標のためにも、今はまだこの関係を知られるわけにはいかないの。そのためなら、私は五月ちゃんに嫌われたって───」

「安心してください、そんな今すぐ言うつもりはありません。それがあなたたちにとって不都合だってことは、私にもわかります」

「……?  なっ、なんで?  そんな、あっさり……」


 五月の言葉が予想外なものだったのか、一花は虚を突かれたような反応を見せる。今まで決して妹たちに見せなかった表情を披露したあたり、一花の本気の想いなのは五月に伝わっている。だからこそ、受け止めたい。


「そんなの、当然です。私は一花が大好きですから」

「えっ……」

「そして、上杉君のことも信頼しています。確かにかつては警戒していましたが……今は違います。彼は、私たち全員に誠実に向き合ってくれる男の子だと信じています。だから」


 一呼吸つき、笑顔で告げる。母として、妹として長女を想う五月の本心だ。


「私は、あなたたちを応援しますよ。絶対に、何があっても、私は一花と上杉君の味方です」

「……!」

「私も、自分の夢のために彼が必要なんです。だから私の一存であなたたちの関係を暴露して、家庭教師が解消になるのは困るのです。これでも私、ふたりにはとっても感謝しているんですよ?」

「五月、ちゃん……」


   戸惑いを隠せない一花の表情、その声色。風太郎との関係を認めてもらえるとは思っていなかったことの証明である。やはり、信頼などされていなかったのだ。一花への言葉こそ優しい五月ではあるが、心では今までの自分の考えの甘さに悔しさでいっぱいだった。


(本当に、私は何も、一花のことを知らないで……!)


 彼女にずっと姉という枷をかけさせていたという事実が、苦しい。妹たちを気遣って自分の本心や悩みを相談しないというのは、結局心を許せていないのと変わらない。人生に関わる女優の活動ですら事後報告なのも、自分たちが一花に頼りきりだったということがあったからだろうと、五月は考えている。

 そんな一花が、五月たち五つ子ではなく、長女としての役割関係なしに心に寄り添える風太郎を必要とし、求めるのは至極当然といえよう。


(こんなことにも、気づかないだなんて……これでは、母親として失格ですね)


 でも、これからは違う。一花の様子を見る限り、風太郎によって姉という鎖はすでに緩められている。先程の威圧は、今までの自分を棄ててでも風太郎を求めていることを意味しているのだから。

 ならば、もう一花の心に歩み寄ることに遠慮はしない。一花を大切に思っているのは風太郎だけではなく、五月も同じなのだ。

 ゆえに五月は願う。一花も、自分の気持ちを遠慮なくぶつけてほしいと。


「上杉君と一花、長男と、長女……きっと、二人にしか通じないものが、あったのでしょうね。すごく、お似合いだと思いますよ」

「っ……ありがとう。すっごく、嬉しい。ホント、私より五月ちゃん、よっぽど大人だよ。お姉さん失格の私なんかとは、全然違う」


   思うことがあるのか、未だ一花の表情は明るくない。それでも、五月の純粋な想いは通じたようだ。感謝の言葉と共に、一花も真剣な眼差しを五月に向ける。


「……なら、私も五月ちゃんと向き合わないとだよね。応援するって発言、撤回していいから。何があっても、私の意思は変わらない」


 無言で頷き、一花の瞳を見つめる。どんな内容であろうと、姉としてではない、中野一花というひとりの少女としての言葉を、五月は全て受け止める覚悟だ。


「私、フータロー君が好き。はっきり言って、みんなより大切。たとえみんなに……フータロー君に嫌われたとしても、私は誰よりもフータロー君の幸せを願う。もう私は、五月ちゃんたちのお姉さんではいられない」


 そこにはもう、五月の知る妹を気遣う優しい長女の姿はなく。


「誰が敵になろうと、こんな自分勝手な私を好きになってくれたフータロー君は、絶対に譲らない。何があっても、私はフータロー君を愛し続ける。だって、フータロー君はありのままの私を受け止めてくれた、たったひとりの男の子だから」


 ただの女としての、一方的な決別である。しかしそれを受けた五月は気分を害することはなく、一花が本心を話してくれたという事実に嬉しさを感じていた。

 今まで姉であり続けてわがままを言わなかったからこそ、しっかりと伝わっているのだ。そこには一花の風太郎へのありったけの愛が篭っている、本気の恋なのだと。ゆえに、五月の気持ちは変わることはない。


「彼は、言っていました。私たち全員、揃って笑顔で卒業させると。私も、気持ちは同じです。心からそれを望んでいます」


 穏やかな表情のまま五月は両手で一花の手を包み込み、告げる。ずっと姉であり続けてくれた彼女への卒業を。


「だから、私にも協力させてください。上杉君は私にとっても信頼できる教師で、大切な友達なのですから。全員笑顔で卒業するために、あなたたちの幸せのために。乗り越えなければならない壁は、まだまだ多いでしょう?」

「!  ……ホント?  ホントに、いいの?」

「もちろんです。課題は山積みですが……私と一花と上杉君が力を合わせれば、きっと大丈夫です!  みんなが笑顔で卒業できる私たちの、あなたのハッピーエンド。頑張って一緒に目指しましょう!」

「五月、ちゃん……!  っ、また、私は……!  ……ごめん、ごめんね……ありがとう……!」


 涙を流し嗚咽を漏らす一花を見て、ようやく同じ土俵に立てたのだなと、五月は思う。そして、一花を姉としての呪縛から解き放った風太郎は、やはり自分たちに必要な存在だと確信できた。

 二乃や三玖の恋心、四葉の過去。全てを清算するのはとても困難だろう。上手くいくかもわからない。それでも、風太郎と一花となら、きっとできる。二人の新たな旅立ちを祝いたいという祈りが、五月を前向きにさせている。


(上杉君、本当にありがとうございます。……どうか、一花を、よろしくお願いします)


 今こそ、感謝を込めたスタンプをあなたに。

 

 

 

 

「お兄ちゃん、昨日一花さんと何してたの?」

「は? 別になんもねー……ちょっと待て。なんで知ってんだ、お前」

「一花さんの声が聞こえたから、お取り込み中かなーって。ナイス判断でしょ」

「昨日からなんかやけにニヤニヤしてると思ったら、バレてたのかよ……放置することになって、悪かったな。プレゼントあるから、後で見てくれ」

「ホント!?  ありがとう!  それにしても、お兄ちゃんにもようやく春が訪れたみたいで、私は嬉しいよ!」


   中学生になったらいはは、風太郎から見て少し茶目っ気が増したように思う。それでも上杉家においては母親代わりの、ただいてくれるだけで風太郎の心を癒すとても大切な妹だ。そんならいはは、昨日は家の前まで帰ってきていたにもかかわらず風太郎に気を遣い、一花と二人きりの時間を過ごさせてくれていたようだ。


「だけどお前、絶対にあいつらに一花のこと言うなよ。バイトクビになりかねないからな」

「りょーかいです。そしたらお腹いっぱい食べれなくなっちゃうもんね」

「そういうことだ。まぁそんなわけで彼女ができたわけだが、妬くんじゃねぇぞ」

「はぁ、一花さん……お気の毒に」

「……さすがにその反応は傷つくぞ……」

「まあいいじゃねーか!  頑固なお前に、晴れて彼女ができたんだ。五月ちゃんじゃないとは驚いたが、一花ちゃんだっけか?  旅行で少し見た程度だったが、可愛い子だったな!」


 堅物魔神の風太郎に彼女ができたということで、上杉家の食卓は盛り上がっていた。しかし二人のテンションに反して風太郎の気分は控えめである。一花が彼女になったことによるこれからの日常の変化に対する好奇心と、それゆえに生じるであろう懸念が交差しているのだ。学校では自分たちの関係は秘密ということもあって昨日のような時間を過ごすことは難しいだろうが、それでも意識せずにはいられない。

 家庭教師の仕事中は私情を挟むこと、つまり贔屓は許されない。たとえ生徒の中に風太郎が愛する彼女が紛れ込んでいようと、全員公平だ。しかし、それが終われば話は別である。風太郎は今後プライベートでも、一花の国語の個人レッスンの予定を企てている。苦手な科目の成績を伸ばしたいという一花の前向きな姿勢は、勉強を習わしとしてきた風太郎としては嬉しい限りである。だが、無視できない問題がひとつ。


(誰にもバレず、二人きりになれる安全な場所……やっぱ、ウチくらいしか、ないよな……)


 姉妹に関係を見抜かれないようにするとなると、やはり都合の良い場所は我が家しか思い浮かばない。外は危険がいっぱいなのだ。姉妹と遭遇したら修羅場一直線である。

 家で普通に国語の勉強をするだけなら問題は何もない。だが、未遂に終わったとはいえど昨日の一花の誘惑は風太郎の脳裏にしっかりと焼き付いている。さらに、それだけではない。あろうことか、去ろうとする一花に風太郎自ら誘いをかけてしまったのだ。

 男として頼りきりは嫌だと思い飛び出したのまではいい。だが、彼女が望んでいるであろうと思って発した言葉は、結果的に失言と化した。風太郎の頭から離れることはない。


(ぜ、絶対勉強どころじゃねぇ……!)


 一花の妖艶な笑み。柔らかい唇。豊満な胸の感触。誘うような言動。昨日の出来事は風太郎の幻想ではなく、まごうことなき現実である。自分とまぐわうなかで披露するであろう彼女の痴態を風太郎は想像してしまい、下半身に熱が篭りかける。これでは授業が問答無用で保健体育に変更になってしまう。いずれくるであろう、初体験。男としてはカッコ悪い姿を見せないために予習(意味深)をしておくべきなのか風太郎が悩み始めていたところ、らいはの声によって思考を中断させられる。


「お兄ちゃーん?  何考えてるんですかー?」

「っ!  い、いや、なんでも……」

「もー、どうせ一花さんのことでしょ。恋をすると、人は変わるんだね」

「やっと風太郎も真人間に戻れたんだな……これぞ、青春を謳歌する普通の高校生の姿だ。らいはもよく覚えとけよ」

「自分の息子をなんだと思ってんだよ……」


   呆れつつも、風太郎は愛する彼女の言葉を思い出す。青春をエンジョイ。ただの日常会話ででてきたその言葉を一花自身は覚えていなさそうな気もするが、確かに風太郎は記憶している。


「……でも、そうだな。受験に不安はねーし、少しくらい一花と寄り道してもいいかもな」


   自然と笑みが浮かんでくる。一花と過ごす学園生活が、たまの二人だけの放課後が、楽しみでしかたない。心に優しく灯る一花への愛は、風太郎の価値観を大きく変えている。


「なん……だと……?」

「お兄ちゃんが……そんな……!」


 しかし、本人はよくても周りには惚気る風太郎は異常としか捉えられない。らいはも勇也もまるで別人の風太郎の姿に絶句するばかりであった。


風太郎……ようやく、勉強を辞めるんだな……!  俺は……俺は……!」

「みっともねぇな、何泣いてんだよ……勉強しねぇわけじゃねぇし……」

「お母さん、勉強オバケのお兄ちゃんがついに成仏しました。これで上杉家は安泰です」

「成仏ってなんだよ!  まだまだ俺はこれからの男だ!」

「こうしちゃいられねぇ!  今日はお祝いだ!」

「おー!」

「お前ら学校と仕事はどうすんだ!  とっとと支度しろ!  ったく……」


 どんちゃん騒ぎの上杉家。呆れてこそいるが、風太郎はどこか安心感を覚えていた。家族には心を開いていたつもりではあった風太郎だが、らいはも勇也も、勉強に全てを注ぐそのあり方をどこか心配に思っていた部分があったのかもしれない。


風太郎!  まだいるな!  ちょっとこっちこい!」

「あーもうなんだよ……」

「お前に渡したいものがあんだよ」


 風太郎は強引に勇也に連れられて、ガレージの中へと移動する。


「よしきたな。会社の同期から、もう新しいの買ったから使わないってことで、譲ってもらったんだよ。新品じゃなくて悪いが、ちゃんと動くことは確認済みだ」


 そこには、大きな布に包まれた巨大な物体があった。形状的に、どのようなものなのか大体想像できてしまう。珍しく、年頃の少年のような、期待に満ちた表情を浮かべる風太郎。もし、これが本当にあれならば、一花と───


「お、親父、これって……」

「ああ、お前の想像通りだ。風太郎、遅くなったが誕生日おめでとう。いつも頑張ってるお前に感謝の気持ちを込めて、今年は俺から、とっておきだ!」

「───!!」

 

 

 

 

 父親からのプレゼントを受け取った風太郎は逸る気持ちを抑えられず、急いで支度を終えて家を後にする。いつものあの場所に、おそらく彼女は現れるだろう。まだ登校時間に余裕はあるが、今日はこちらが待ち伏せして驚かせてやろうと、風太郎は企んでいた。喫茶店で昨日一花にご馳走になったフラペチーノでも堪能しながら気長に一花を待とうと思っていたのだが、そんな少年の目論見は到着と同時にあっさり崩れ去る。


「あ、フータロー君だー……おっはー……」


 風太郎と一花にとってもはやお馴染みの場所と化している、通学路途中の喫茶店前。昨日より30分以上早く到着したというのに、一花はすでに到着していた。今日も眼鏡を装着している。

 昨日と180度違う一花のテンション。あくびをしている一花は明らかに眠気全開だ。彼女が右手に持っているのは、コーヒーだろうか。うっかりこぼしてしまいそうな一花の姿に風太郎の悪戯心は静まり、一花への憂慮へと切り替わる。


「お、おう。大丈夫か……」

「う、うん。まぁ、なんとか。ただ、昨日全然眠れなくて……」

「それは全く持って大丈夫じゃねーだろ……でも、よくこんな早くこれたな」

「寝坊したら大変だもん……少しでもフータロー君と二人きりで一緒に登校したかったし、いてもたってもいられなくって早出しちゃった。カフェインさえあれば、なんとか……」

「気持ちは嬉しいが、無理すんなよ……?」


   ぼんやりしながらもコーヒーを口にする一花。しかしすぐに眠気が吹き飛ぶわけはない。学校も近いためにこのペースでも遅刻の心配はないのだが、足取りのおぼつかない一花の様子は気がかりだ。言葉のキャッチボールでなんとか一花の意識を覚醒させようと風太郎は考え、一花に話しかける。


「にしても、なんだってそんな眠気マックスなんだよ。お前が寝不足だなんて……」

「……そんなの決まってるじゃん。フータロー君のこと考えてたの」

「ま、またお前は……」

「だって、フータロー君、あんなこと言うから……」


 上目遣いで風太郎を見上げる一花は、頬を赤く染め膨らませている。可愛らしくもあるが何か言いたげなその表情。風太郎の心拍数は乱れつつある。あんなこと、というのは間違いなく一花の去り際に囁いたあの発言だろう。やはり、一花も期待しているのだ。


「もー、ホント大変だったんだよ。今の家が嫌なわけじゃないけど、昨日ほど自分の部屋がないことを苦しんだ時間はないよ」

「は?  部屋の有無になんの関係があるんだよ」

「……わからない?」


   立ち止まった一花は眼鏡を外し、懇願するような表情を風太郎に向ける。それを受けた風太郎の緊張は爆発寸前だ。動揺する風太郎を尻目に、一花は風太郎の耳元で───


「……みんなが寝静まった部屋の中、ひとり眠れない私は、フータロー君と過ごしたあの時間を思い出すの。私の脳から切っても切り離せない、フータロー君の眼差し。優しい声。そして私とは違う、大きな手。大好きな人が私の胸に触れてくれたんだって事実を思い返すだけで、私のカラダは熱くなって、もうどうしようもなくなっちゃって。我慢できずに私は、服を脱い───」

「わかったわかった俺が悪かった!  心臓に悪すぎるからやめてくれ!」


 丁寧に、詳細に、具体的に。甘い声で自らの性事情を直球で口にする一花。昨日とは破壊力が段違いのそのボールを、風太郎が受け止められるわけもない。


「えー……まだまだ、これからが本番なのに……」

「まだ朝なんだぞ!  お前は恥ずかしくねぇのかよ!」

「こんなこと言うのもあんな姿を見せるのも、この世界でフータロー君だけだからなんの問題もないもん」

「うっ……」


 時間帯にそぐわない過激すぎる発言をしているというのに、一花に動揺は見られない。対して風太郎は恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。いくら心を通わせても、保健体育は専門外の風太郎にはR-18トークは致命傷だ。


(くそっ、こいつめ……!  だけど……)


 それでも、風太郎の心は羞恥のみで埋め尽くされているわけではない。胸の鼓動が収まらない。心を翻弄されつつも、一花の大胆な言葉に宿る強い愛は、真実なことがわかっているからだ。だが、まだ一花のターンは終了していない。


「一人暮らし、始めよっかな……ベッドも置けるし、これならフータロー君と……」

「な、何言ってんだ、お前は片付け苦手だろ。一人暮らしなんて始めたらゴミ屋敷待ったなしだ。認めんぞ」

「うー……ならフータロー君、一緒に住もうよ。そうすれば全部解決じゃん」

「……せめて卒業してからにしてくれ……」

「えっ、ホント?  それならいいの?」


 一花は瞳孔を見開いて風太郎を見つめる。もう絶対に撤回は認めないという、強い意思の篭る一花の眼差し。風太郎は頬を掻きつつも、恥ずかしさを振り払い彼女の言葉に同意する。現実的かどうかはともかく、一花の提案に少なからず風太郎は憧れを感じているのだ。


「ま、まぁ選択肢のひとつとして可能性はあるってだけだ。過度な期待はすんなよ」

「……!  やる気出てきた。昨日サボった分、今日は勉強頑張るぞー!」

「話聞いてんのかよ……単純なヤツめ……」


   先程までの不調が嘘のようなご機嫌の一花。そんな彼女に呆れつつも、笑顔の一花に風太郎の気分も上々である。学校ではなかなか作れないであろうこの二人きりの時間に、風太郎は胸を弾ませている。勢いというものは大事である。初体験どうこうはさておき、今こそ勇気を振り絞る時だ。


「い、一花。その、聞きたいことがあるんだが」

「なになに?  どうしたの?」

「えっとだな……あれだ、いきなりで申し訳ないが……今日の放課後、空いてないか?」


 緊張による動揺が声に漏れてしまう風太郎。昨日自分に誘いをかけてきた一花は表面上は普段と変わらなかったが、実際に誘う立場になって風太郎は理解することができた。

 断られることに、少なからず恐怖を覚える。だが───


「んー?  今日もオフだけど……って、まさか、フータロー君……ひょっとしてそれは、デートのお誘いですか……!?」

「……そう解釈してもらって構わない。ちょっと、見せたいものがあるんだ。それで、お前としたいことがある」

「えっ、なにそれ気になるっ!」


   喜びに加え興味津々、といった一花の笑顔が風太郎の目の前に広がる。ウキウキ度満点のその表情に、風太郎は勇気をもらう。


「お前が喜ぶかはわからないが……いや、きっといい思い出になるはずだ。大丈夫か?」

「もっちろん!  お仕事被ってない限り、私がフータロー君のお誘いを断るなんてありえないから。どこで待ち合わせする?この付近だと危険だよね」

「あいつらに見つかる可能性が低いところ……昨日の公園の、駅前とかがいいか。ちょっと準備に時間かかるから、終わり次第連絡するわ」

「おっけー!  なら、それに合わせて向かえば問題ないね。だいたい着く時間目処ついたら、電話なりなんなりしてねっ♡」

「あいよ。……楽しみに、しててくれ」


 無事に約束を取り付けることに成功した風太郎。しかし、一花から全幅の信頼とありったけの好意を向けられているとわかっていても、未だに風太郎の心から緊張は解けない。未経験の行いに挑戦するということは、自分の不安と対峙することを意味するのだ。平常心でいられないのは当然といえる。


(昨日だってやったんだ。今更、これくらい……!)


 だが、勝るのは己の欲であった。風太郎は一花の手を握り、指を絡ませる。男の手とは違う柔らかい一花の手の感触が、今日もまた風太郎の手に伝わる。


「フータロー君……!  嬉しいっ!」


 積極的な風太郎に、満面の笑みで答える一花。彼女の笑顔を受けて、風太郎の心はドキドキで満たされて、暖かくなる。


「……まだ早いし、誰も見てないだろ。ゆっくり、行こうぜ」

「うん!  大好きっ、フータロー君♡」


 リア充であろうと誰もが呪詛を紡ぎたくなるような、相思相愛の二人。愛は、人を大きく変えるという証明である。

 

 

 

 

(やっと、二度目のお昼寝タイムだ……長かった……)


 昼休み。多くの学生にとって至福の時となるこの時間を、例に漏れず一花も望んでいた。学校に到着してから朝のホームルームまでは睡眠に時間を費やすことができたのだが、授業の合間の休み時間はそうはいかなかった。昨日の欠席を心配したクラスメイトが男女問わずに話しかけてきて、周りに人が絶えない状況が続いていたのだ。特に男子はノートをとっておいたから頼ってほしいという声が跡を立たず、姫扱いを受けていた。

 生憎他の姉妹がノートをとっておいてくれたおかげで、男子のご厚意に甘える必要はなかった。溢れていた人の波もようやくランチタイムのこの時間には落ち着き、念願の睡眠時間を稼ぐ機会が到来したわけである。しかし、いざ寝ようと机に伏せて目を瞑るも、一花の脳内は風太郎で埋め尽くされていた。


(フータロー君と、デートかぁ……しかも、向こうから誘ってくれるなんて……♪  二人きりの時間、嬉しいな……)


 一花が机から動けないこの時間も二乃や三玖が積極的に風太郎に声をかけてはいたが、もはやその程度では一花は嫉妬の炎を燃やしたりはしない。学校では二人きりの時間を作れなくとも、一花は風太郎と恋人なのだ。何があっても揺るがないその事実に、一花はちょっぴり優越感を感じてしまう。そして自己嫌悪するまでがワンセットだ。


(……余裕が出来たらすぐこれだよ。まだ決着がついたわけじゃないんだから、浮かれてちゃダメなのに……でも、フータロー君とのデート、楽しみすぎるよ……)


 断じて子供のようにマウントを取りたいわけではない。一花にとって風太郎は大切な恩人であり恋人であって、決して力を誇示するための道具ではないのだ。頭ではそれを理解していても、風太郎に尽くしたいという愛だけではなく、自分も風太郎の愛で満たされたいという欲が一花の中で渦巻いている。

 昨日の一日で、一花の目指す方向性は完全に定まった。姉であることをやめて妹たちより自分の幸せを優先する以上、目指すのは100点満点だ。ひとりでは叶うことのない野望だが、もうひとりではない。

 愛する彼氏の掲げる目標のために。自分たちを応援すると言ってくれた末っ子のために。妹たちを心から納得させて、全員揃って笑顔で卒業。絶対に、成し遂げなければならない。しかし───


(うう、今日だけ、今日だけは許して……!  だって、フータロー君とのデートが、最高の時間が、私を待ってるんだから!)


 所詮はまだまだ恋に仕事に青春真っ盛りな女子高生。大好きな風太郎と過ごす時間は一花にとって極上の癒しなのだ。大人なように見えて、実は欲には忠実なのが中野一花という少女なのである。


「一花、ご飯いらないの?  私たち学食行くけど……」

「私眠たいからパス……昼休み終わったら起こして……あと、パン適当に五つくらい買っておいてほしい……」

「おぉ、結構食べるね……オッケー。ゆっくり休んでね?」

「ごめん……お金後で渡すから……ありがと……」


 しかし、デートにかまけて大事なことを見失ってはいけない。愛する風太郎の教えを無駄にしないためにも、授業中に眠るなどという失態は絶対に許されない。気にかけてくれた四葉に謝罪と依頼をしつつ、午後からの授業に備えて一花は夢の世界へと旅立つことにした。

 

 

 

 

 


(やっと終わったー……頑張ったよー……)


 睡眠時間を少しでも稼いだことが功を奏したのか、なんとか一度も眠ることなく、午後の授業を一花は無事に乗り切ることができた。人間は心の持ちよう次第でいくらでも集中できる生き物だということを、一花は再確認できた。

 当然、この後に待ち構えている風太郎とのデートも一花のモチベーションを高めている要因であることは間違いない。しかし、それ以上に一花を動かしているのは、大好きな彼氏の愛に、信頼に応えたい。こんなわがままな自分を好きと言ってくれた風太郎になんとしても報いたいという、一途な想いであった。


(うん、これだけは絶対。フータロー君が、私にとっての一番だから。でも……)


 何があっても一花の優先順位は変わらない。それでも、一花は後ろめたさを完全に拭えていない。風太郎が我慢しなくていいと言ってくれたことはたまらなく嬉しいのだが、自分がありのままのわがまま少女でいると、風太郎の目標の妨げになってしまうのではないかという不安を一花は抱えている。昨日も五月に圧をかけて、自分の都合を強制させようとしたのだ。五月は暖かく包み込んでくれたが、その優しさは一花の心に響いた。今更性格の悪さなど振り返るまでもない。


(二乃や三玖、そして四葉……みんなは今のお姉さんじゃない私を、認めてくれるのかな)


 他の姉妹は五月のようにはいかないことは容易に想像できる。かなりの苦戦を強いられるだろう。

 そうして対策を考え込んでいる間にもホームルームが終わり待ち望んでいた放課後が到来したのだが、一花の心のモヤモヤは晴れていない。結局良いアイデアは浮かばなかったのだ。だが、風太郎とのデートで沈んだ表情を浮かべていては心配をかけさせてしまう。


(こんなんじゃダメ……今日は今日で、楽しまないと!)

 

   一花は気持ちを切り替えて、気持ちを強く保つ。気を緩めてはいけない。まずは妹たちにバレないように、風太郎と合流しなければならないのだ。

 風太郎自身病み上がり(という設定)のため、本日も放課後の勉強会は中止ということになった。事情を知っている五月が口裏を合わせてくれたこともあり、スムーズに事は運んだ。彼女にはいずれとびっきり美味しいデザートをご馳走することを心に誓いつつ、一花は妹たちと共に下校することにした。妹たちの動向を伺ってから外出を試みれば、リスクは少ないという判断からだ。

 幸いにも今日は一花は非番である。アルバイトなり買い出しなりに向かう妹たちを一花は見送り、家に到着する。そして、後は着替えて外出するだけ、というとこまできた。しかし、ここで一花は抱えている懸念が吹き飛んでしまうほどの、厄介な難題に直面してしまう。

 

 

 


(服……どれにしよう……!)

 

 

 


 即ち───己との、戦い。


 これはいけない。下手すると解答を見つけ出すのに丸一日かかってしまう。なんていったって恋人になってからの初デートなのだ。一生モノの記念日になることは間違いないのだから、当然一花は気合を入れて臨むつもりである。つまり。


(うう、少し汗かいちゃったからシャワーも浴びたい、服もじっくり厳選したい……どうしようどうしよう、時間ないよー!)


 次から次へと、準備したいことが湧き出てしまう。昨日のデートも非常に有意義な時間であったのだが、今日は今日で大事な勝負所だ。一花は昨日去り際に風太郎が囁いた一言を思い出す。おそらく、今日のデートの締めは───


(フータロー君と、エッチするかもしれないんだから……!)


   そう、初体験である。彼氏のあんな発言があった以上、一花は風太郎と交わることを期待している。実際にヤるかどうかはともかく、いざヤる場合になった時にヤる気のない格好で風太郎のヤる気を削ぐわけにはいかないのだ。


(失敗したなぁ……下着もフータロー君が選んでくれたの、今日洗濯しちゃってるし……全然決まらないんだけどー!)


 現在時刻は17時。風太郎も準備があるとはいえど、家には到着しているであろう時間だ。一花としても風太郎を待たせてしまうことは避けたいのだが、妥協もしたくはない。

 そんな焦りから思考をまとめられずに一花の頭がパニックを起こしそうになったところ、彼女のスマートフォンの振動が響く。確認してみたところメールを受信したようで、発信主は風太郎のようだ。すかさず一花が内容をチェックすると、その内容は───


『すまん、かなり遅くなりそうだ。少なくともあと1時間はかかっちまうかもしれない』


 愛しき彼氏による、シンキングタイム延長許可証であった。救いの神は、一花のスマートフォン越しに存在したのだ。


「ナイス!  ナイスすぎるよフータロー君!」


   これほどありがたい話もない。家に自分以外誰もいないこともあって、思わず独り言が出てしまうほどに舞い上がる一花。即座に風太郎からのメールを保護し、返信をする。基本的に五つ子へのメールは一斉送信なため、個人に送られるメールは一花にとってとても貴重なものなのだ。


『全然気にしないで、大丈夫だよ!  焦らないで、ゆっくりでいいからねっ♡』


 尋常ではないフリック速度で感謝と愛を込めたメールを返信しつつ、一花は仕切り直す。とりあえず、身も心もリフレッシュするのが最優先だ。


「駅へ向かう時間、電車乗ってる時間を考えると30分はあるかな。よーし、とりあえず軽くでもシャワー浴びてスッキリしよっと」


 愛する風太郎に、もっともっと愛されたい。完璧な自分で、愛を囁いてもらいたい。そして、愛してもらえた分、愛をあげたい。尽くしたい。暴走しがちな乙女心をなんとか制御しつつ、一花は風呂場へと向かう。

 すべては、風太郎に喜んでもらうために。

 

 

 

 

 


「あー、さっぱりしたー。時間は……あ、またフータロー君からメール来てる」


   シャワーから上がった一花は時間を確認するためにスマートフォンを開く。すると、またしても風太郎からのメールを受信していたことに気づき、内容を確認する。


『悪い、可能ならスキニーパンツで来てもらえるか?あと鞄はショルダーのやつで頼む』

「!?」


 その内容はあまりにも予想外な、風太郎のファッションリクエスト。内容に衝撃を受けた一花はしばし瞬きすらできなかったが、しばらくすると笑みを浮かべ、当然の結論に行き着く。


「ふーん……フータロー君、こういうのが好きなんだー……ふふっ♡」


 トキメキとドキドキが交差する。風太郎の好みを把握できた一花の気分は最高にハイだ。いつだって一花は、風太郎に魅力的と思ってもらえる女でいたいのである。


『りょーかい!  楽しみにしててね♡』


 好きを伝えたくて、毎回ハートマークをつけてしまう。こんなに乱発すると効果が薄れないだろうかと思いつつも、一花の愛は止まらない。都合の悪いことはひとまず放置して、着々と身支度を調える。


(今日もたーっぷり、ドキドキさせてあげちゃうんだから!  待っててね、フータロー君!)

 

スタイルチェンジ #7

 

「ど、どうした?  早くこいよ」

「うっ、うん。失礼しまーす……」


   二人がいる居間には先ほどまで無かった布団が敷かれている。風太郎は左腕を伸ばして布団に寝転がりながら一花の方を向き、彼女に来るように促す。

   年頃の男女が、恋人の家で、同じ布団で、時間を共にするということ。親密な関係でなければ、できない行為。一花は緊張しているのか、ゆっくりと風太郎の大きなそれへ、身体を近づけた。そして、そのまま───風太郎の左腕に、頭を乗せた。

 

 

 


   いわゆる、ただの腕枕である。

 

 

 


「どうだ?  初めてだから、寝心地いいかわからないが……」

「ううん……すっごい、安心する……♡」

「そ、そうか。……ならもっとこっち来いよ」

「えっ……きゃあっ!」


   風太郎は勇気を振り絞り、空いている右腕で一花を抱き寄せる。ハグに勝るとも劣らない、ゼロ距離といっていいレベルの密着度である。


「フータロー君、大胆だね……♡」

「お、お前に甘えてもらうためだからな。これくらい余裕だ」


   自分らしくないのは風太郎も承知だが、そんな自分を見せる相手は風太郎が自らキスをした一花なのだ。キスよりハードルの低いハグも初期に経験済みな仲である。粘膜接触と比較したら、これくらいなら、まだ───


「うふふっ、幸せだなー……この気持ち、フータロー君にもおすそ分けしないとだよね♪」


   全然大丈夫ではない。一花の行動に、風太郎はあっさりと心を乱される。


「ほ、頬をさするな。くすぐったい」

「えー……お触り、ダメなの?これくらい、私とフータロー君の仲なら当然のスキンシップだよ。フータロー君もよかったら私の身体、触って、甘えていいんだからね?」

「……うるせーな、大人しく甘えてろっての。俺が一花に甘えるのはまた次の機会だ。まぁ、お前が俺に触るのは、構わないが……ほどほどにしてくれ」

「はーい……♡」


   宣言通り容赦はない。一花は引き続き風太郎の頬に柔らかい手で触れてくる。とろけそうな表情で甘えてくる一花に、愛おしさとドキドキを感じる。

   そのまましばらく頬をなすがままにされていたが、満足したのか一花は風太郎の胸へと手を移動させ、制服の上から胸元を指で優しくなぞる。


「っ……」

「……ふふっ♡」


   落ち着かない。むずがゆい。風太郎の狙い通り一花は幸せそうな笑みを浮かべ甘えてくれているが、自分も結局緊張を感じてしまっている。そして、最後は───


「えいっ♡」

「!」

「やったー、恋人繋ぎだー♡  フータロー君の手、おっきいね……♡」


   風太郎の手持ち無沙汰の右手に、一花は自分の左手の指を絡ませてきた。ゴツゴツした男の手とは違う、一花の柔らかい手。普通の恋人なら段階的にはキスより前に済ませているであろうそれに、風太郎は今更ながらドキドキしてしまう。


「うーん、満足したー!  ありがとねっ♪」

「……どういたしまして」


   一花の手は離れるも、風太郎へのその熱い眼差しが止むことはない。彼女は引き続きとろけてしまいそうな甘い声で、愛しい彼氏の名前を呼ぶ。


「フータロー君♡」

「なんだよ、一花」

「フータロー君っ♡」

「だからなんだよ。目の前にちゃんといるだろ」

「えへへー♪  あのね、こんなにも人に寄り添える優しさを持ってて、それでいて頭も良くてカッコいい男の子が私の彼氏なんだーって考えてたら、すっごい嬉しくなっちゃって♡」

「買いかぶり過ぎだ。……俺も、一花にそう言ってもらえて、嬉しいけどよ」


   ボデイタッチから攻め方を変えて、言葉で愛を伝えてくる一花。もう怯むことこそなくとも、風太郎は照れ臭さを感じてしまう。それでも、一花の目を見てストレートを投げ返すことができるようになっているのは、風太郎の成長を表している。だが、朝から全力投球を続けているというのに、一花のスタミナは一向に切れる気配はない。


「私にとってフータロー君は、宇宙一ステキでカッコいい男の子なんだよっ♡  君と比較したらどんなイケメンだって私には霞んで見えちゃうくらい、大好きなんだから!」

「そ、そうかよ。俺も、美人の現役女優が彼女だなんて、鼻が高いわ。……改めて言葉にするとホントすげーことだな」

「えっへん!  全国三位の学力を誇る秀才のフータロー君と、女優の私……旭高校を代表する、すっごいお似合いのビックカップルってことだよねっ♡」

「っ……言うじゃねぇか……」


   言葉こそ似つかわしくないが、素直&デレデレな一花というのはまさしく鬼に金棒という表現がふさわしい。風太郎は思わず口角が釣り上がるのを自覚し、咄嗟に口元を手で抑える。最後の発言は控えめに言って致命傷だ。ニヤついているのは見抜かれているだろうが、指摘されるのは恥ずかしい。それでも、嬉しいという感情は完全に容量オーバーだ。満面の笑みで好意を伝えてくれる一花に、風太郎も夢中になっている。


(……恥ずかしいけど、素直に幸せだ)


   一花とのイチャイチャタイムを価値あるものと思っている今の自分に、風太郎は驚かずにはいられない。もはや完全に恋愛脳だ。こんな調子で翌日以降も普段通りに家庭教師をこなせるのか、風太郎は不安になる。優先順位ができてしまったにも関わらず家庭教師を継続する以上、他の生徒をぞんざいに扱うわけにもいかない。ポーカーフェイスのコツを一花に教えてもらう必要がありそうである。

   しかし、今日はこれからどうしたものか。そんな疑問から風太郎が時計を見ると、すでに時刻は17時に差し掛かろうとしている。このままのんびりしているのもいいのだが、何事もなければらいははとっくに帰ってきてもおかしくない時間帯だ。風太郎は仮にこのタイミングでらいはが帰ってきた場合、一花との関係は口止めしなくてはなと考えていたところ、一花が風太郎の制服の袖を引っ張り、話しかけてきた。


「ねぇねぇ、フータロー君」

「どうしたよ。まだ呼び足りないのか」

「私たち今、すっごく良い雰囲気だよね」

「自分で言うなよ。否定はしねーけど」

「大好きな彼氏の家で、布団の上で恋人同士、愛を語り合う……こんな最高のシチュエーションのメインディッシュとして、最後にヤることは決まってるよね」

「…………」

「ずっと密着してたせいかな、なんだか、身体が火照ってきちゃって……私、このままフータロー君と、シてみたいな……♡」

「……………………」


   妖艶さの混じり入るうっとりとした瞳で風太郎を見つめる一花。冷や汗が流れるのを感じる。確かに雰囲気的にそういう流れだと風太郎ですら思う。なぜ腕枕を提案してしまったのか。しかもご丁寧に布団まで敷いて。これで忘れていることを期待するなど、IQが低下したとしか思えない。恋愛脳に目覚めた風太郎の完全敗北である。


(いっそ、このまま……いやいや、ダメだ!!あまりにも場所が悪すぎる!)


   まだ慌てるような時間ではないと、なんとか風太郎は心を落ち着かせようとする。こういう時こそ冷静にならなければいけない。風太郎が思うに、一花の次なる一手は先ほどと同じだ。間違いなく一花は流星群のごとく、たくさんの大胆な言葉を風太郎に降り注いでくるであろう。生半可な精神では一花の甘言に乗せられて朝チュンルートへ突入してしまう。まだ日が沈んですらいないのだから、何時間耐久なのか想像がつかない。少なくとも体力が保つわけがないのは明らかだ。無尽蔵と言っていい一花のスタミナに、ついていける気はしない。彼女の興奮を、どうにか冷まさなければならない。


「待て待て待て。お前は女優なんだし、そんな節操なくすることはできねぇよ」

「えっ、そんな……女をここまでその気にさせておいて、お預けだなんて……ひどいよ、フータロー君。これもまた、私たちの青春の一ページなのに……」

「そんな爛れた青春は勘弁してくれ……」

「そもそもさ、いつもフータロー君が寝てる布団で、こうして一緒の時間を過ごすだなんて……そんなの、夫婦以外の何者でもないよ。誰がどう見ても結婚初夜だよ。……ねぇ、あなた?」

「話が跳躍しすぎだ!  そしてさりげなく呼び方変えんな!  めっちゃむずがゆいんだが!」


   女優としての表情の作り方や声のトーンなどをフル活用し、風太郎を陥落させようとする一花。口調こそ普段通りなのに色気を感じてしまい、風太郎も身体が熱くなる。

   しかし、鋼の意志で風太郎は誘惑を断ち切る。いかんせん場所が場所なのだ。らいはも父親もいつ帰ってくるかわからない。何事にも、越えてはいけないラインというものは存在する。だが、今の一花にはそんな正論など通じない。


「ダーリンの方がよかった?  それとも旦那様とか?私はどれでもいいよー♪」

「頼むからいつも通りにしてくれ!」

「まあ私もフータロー君呼びの方が安心感あるけど……でも、フータロー君が言ったんだよ?  もう我慢なんてするな、って」

「そっ、それは……」

「私も初めてだけど、フータロー君のこと、絶対に気持ちよくさせてあげるから!  だから、お願い……!」

「〜っ!  ダメだ!  意味合いが違うわ!  欲に忠実になれってわけじゃねぇ!」

「…………」


   内容こそ若干違えど、まるでデジャヴを感じさせる風太郎と一花のテンポの良い夫婦漫才が再び繰り広げられていたが、その着地点は先程とは違う。一花は表情を曇らせて、ポツリと呟く。


「……私、女としての魅力、ないのかな。これでも女優だし、正直、結構スタイルには自信あったんだけど。フータロー君が夢中にならないんじゃ、何の価値もないよ」

「!?  いや、べつにそういうわけじゃ」

「でも、思えば普段からみんなのも見慣れてるわけだし、当然だよね……調子乗って、ごめんね」

「待ってくれ、一花。俺の言い分を聞いてくれ」


   落ち込んでいる一花を見て、風太郎は慌てて弁明を行う。彼氏として、男として、一花の気持ちに答えてあげたい気持ちはある。自分の考えの甘さなど風太郎は百も承知だが、理由なしに彼女を拒絶しているわけではない。


「いいよ、そんな無理しないで。私、本当に馬鹿だ。あんなことしておきながらまたすぐに駄々こねて、フータロー君の優しさに甘えて、困らせて……!」

「違うんだ、お前に女としての魅力がないだなんて、そんなことない。甘えてくることに、抵抗なんざ感じるわけがない。ただ、俺は……」

「……俺は?」

「……一花が、とっても、大切なんだよ……もう、らいはと同じか、それ以上にな」


   弱々しい言い方になってしまったが、決して風太郎は目は逸らさない。やはり一花は、未だに罪悪感を拭えていないのだろう。もう、一花に自分を傷つけるような真似はしてほしくないのだ。


「勉強ばかりで家族以外の人間関係を断ち切っていた無愛想な俺を、お前は最初から友達だと思って親しげに接してくれた。俺には、そんな存在なんて必要ないと思っていたのに」


   孤独を貫いていたあの日々に後悔はない。最終的にはこうして、一花と共にいる時間があるのだから。だけど。


「でも、お前は俺を最初から必要な存在と思って支えてくれて、ずっと愛を与えてくれたことに気づいて……好きになった。そして、思ったんだ。俺も、この世でただ一人、一花だけには甘えてもいいんじゃないかって」


   風太郎が不必要だと決めつけて、切り捨てた時間は人生の約三分の一に相当する。だから、これからは一花との時間を大切にしたい。今まで走り続けていた分、少しずつ、ゆっくりと。関係の進展を急がなくても、風太郎と一花が恋人なのは絶対に変わらない。身体の繋がりがなければ恋人ではないだなんて、そんなことはないはずだ。


「だからこそ、ここでするわけにはいかないんだ。俺の勝手なのはわかってる。だけど、こんな気持ち、初めてで。本当に、一花の存在が、俺の中でとっても大きくなってるってことを、今日一日でこれでもかってほどに思い知らされた。そんな大切なお前の女優としての輝かしい未来を、欲に任せて奪うわけには───一花?」


   気づけば顔を真っ赤に上気させた一花が、風太郎の両頬に手を添えている。優しくも強い愛を秘めているその瞳に、風太郎は吸い込まれそうになる。


「フータローくん♡」

「なっ、なんだよ……」

「フータローくんっ♡♡♡」

「〜っ!  だから、なんだ───」

 

 

 


「だいすき」

 

 

 


「ちょっ、一花───」

「んっ♡」

 

 

 

 

「むぐっ……!」


   驚いて目を見開いた風太郎が一花の視界に映ったのは一瞬だけだ。一花自身、しっかりと胸に刻んだつもりなのだ。この先何があろうと、たとえこの命に変えてでも。風太郎にだけは絶対、嘘はつかないと心に誓った。

   だがしかし、それはそれ、これはこれ。何事にも例外というものが存在する。三玖に変装した時といい、自分はどうにも歯止めの効かない性格なのだなと、一花は今更ながらに思う。風太郎に重い女だとは思われたくないし、彼に迷惑をかけるようなことはしたくない。それでも、一花がこの状況で我慢できるわけがなかった。


(私たち、キスしてる……夢なんかじゃ、ない……!)


   姉であるがゆえに、ずっと諦めるしかないと思っていた恋。両思いになれても、自分が馬鹿なせいで離れなくてはならないと思いこんでいた存在。だが、そんな少女の想いは報われた。先生と生徒ではなく、念願の彼氏彼女の恋人関係に昇格できた。それだけで幸せなのに、一花の幸福はまだ終わらない。


(優しくてカッコいい、私のたったひとりの王子様……こんな姿見せるの、フータロー君だけなの……♡)


   大好きな彼氏である風太郎が、至近距離で正面から愛を伝えてくれたのだ。愛されているという実感は、一花の想いを加速させる。こんなの、恋する乙女なら誰だって抗えない。ただでさえ風太郎にメロメロだというのに、これ以上優しくして愛をくれるだなんて、一体どうしたいのだろうか。

   本日三回目のキス。だが、今回のそれは唇を重ねるだけの優しいものではない。


「んっ……」


   粘膜接触だけにとどまらず、唾液の交換を伴うディープキス。一花は積極的に舌を絡ませて風太郎の口内を蹂躙する。

   風太郎と触れ合えることに勝る喜びなど今の一花にはない。二人だけの空間に、舌が絡みあう音が響く。炎が心の奥で燃え盛る。それでも、まだ足りない。


「くちゅっ……じゅるっ……」


   絡ませるだけでは満足できず、一花は風太郎の舌を吸う。風太郎の口内の唾液を搾取し、自分の喉の奥に流し込む。身体中が、風太郎で満たされていくのを感じる。もっともっと、ひとつになりたい。しかし、キスはあくまで通過点なのだ。キスだけでこれなら、その先は───


(フータローくん、すき、だいすき……もっと、もっと……!)


   思い立ったら一直線だ。もう二乃をどうこう言える立場ではない。一花自身、すでに自分が愛の暴走機関車になっているのだと確信した。


「ぷはっ……」


   名残惜しくはあるがゆっくりと唇を離す。二人の舌を繋ぐ糸は、一花と風太郎が絡み合った証だ。一花の興奮は高まるばかりである。もっともっと自分の身体を、風太郎で満たしたい。


「フータロー、くん……♡」


   一花は顔を抑えていた手を離し、風太郎の右手を掴む。そして、そのまま自分の左胸に彼の手を引き寄せて、押し当てた。


「いっ、一花……!?」

「どう、かな?  私の胸……ドキドキしてるの、伝わる?」


   湧き上がる幸福感とともに、またひとつ一花の身体は風太郎色に染まる。だが、触れられているだけでは刺激も快感も足りない。一花は風太郎の手の上から自分の手を動かし、自分の胸を揉ませる。


「んあっ……フータローくん、もっとぉ……♡」


   一花の豊満な胸が、風太郎の大きな手の指の感触に包まれる。歓喜で心が震え上がる。大好きな風太郎に触れられていることが、たまらなく嬉しい。それでも、わがままな一花は自分が彼に染まるだけでは満足できない。

 だからこそ、少女は乱れる。脳には、愛の嬌声を。指には、極上の感触を。中野一花という少女の全てを、上杉風太郎の脳に刻み込ませたい。服の上からでこれなのだ。直接触れられたら、どうなってしまうのか。

 もはやオーバーヒート寸前の心と体。静める方法は、ただひとつである。


「ダメ、フータローくん……私、もう、我慢できない……♡」


   愛して、ほしい。求めて、ほしい。


「お願い、私のはじめて、あげるから……フータローくんのはじめても、ちょうだい……♡」


   もっと風太郎に、必要とされたい。はしたないと思われようが、そんなことは関係ない。一花は自分の欲を抑えられない。姉でない自分は、相変わらず自分勝手だ。せめて、風太郎を喜ばせてあげたい。今の自分を見て、彼は興奮してくれているのだろうか。そんな一花の疑問は、すぐに解決した。


「……本当に、いいんだな」


   風太郎に覆いかぶさられて、一花の視界は反転する。言葉こそ単調でも、風太郎の優しさが篭っていることは明白だ。彼の全てが愛おしい。このまま溶けて混ざり合いたい。風太郎に溺れても、後悔なんて絶対にない。


「うん、好きにして、いいよ……一緒に、気持ちよく、なろ?」


   風太郎に求められて、恍惚な笑みを浮かべる一花。この状況での二人の関係は生徒でも友達にも当てはまらない。この部屋にいるのは互いに愛を与え求め合う、男と女の二人だけだ。

   一花は制服に手を掛ける。ワイシャツのボタンがひとつ外れるごとに、一花の素肌は露わになる。羞恥心なんぞかけらもない。愛する風太郎に処女を捧げられる幸せが、今の一花の全てなのだ。あぁ、やっと。大好きな彼と、繋がれる───

 

 

 


   と、その時。

   ピーンポーンという、あまりにもこの空間の雰囲気に場違いな気の抜けた音が、部屋の中に響いた。

 

 

 


「!?」

「っ!  だ、誰だ……?」


   頭が真っ白になった。別に何も難しいことなどなにもない。上杉家に訪れようとした来客が、チャイムを鳴らした。ただそれだけのことだ。

   火照っている身体に反して頭は急激に冷めていくのを感じる。文字通り水を差す行為だ。この状況で続けることは叶わないだろう。


(誰なの、これからって時に……!  私とフータロー君の邪魔、しないでよ……!)


   お預けを食らった一花は八つ当たりだとわかっていても不満を隠すことができず、玄関の方を睨みつける。せっかく、いいところだったのに。恋人同士が愛し合いひとつになろうという時に横槍を入れた不届き者に、強い敵意を覚えるも───

 

 

 

 

 


「上杉君?  五月です。お見舞いに来たのですが、体調は大丈夫ですか?」

 

 

 

 

 

 

スタイルチェンジ #6

 

「……え……?  今、なんて……」


   何を言っているのか理解できない、というような表情の一花。だが、理解できないのは風太郎も同じだ。どうしてそこまで自分を否定して、本心を隠そうとするのか。


「なんだよ、聞こえなかったのかよ。俺は一花が好きだから、今日の一花と過ごした時間をなかったことにするのは嫌だって言ってんだ。勝手に決めてんじゃねぇよ」


   確かに、一花の振る舞いは善か悪かで言えば間違いなく悪だ。三玖の気持ちを知っておきながら、三玖に扮して自分の欲のために都合の良い発言をした彼女の行動は、誰がどう見ても卑怯と感じるものであろう。

   しかし、別の姉妹を装って自分の欲を押し通そうとしたのは、一花だけではない。

 

 

 


『この関係に終止符を打ちましょう』

 

 

 


   思い出すのは春休みの家族旅行での特殊な状況を利用し、五月の姿で風太郎を拒絶しようとした三玖の言葉。彼女が何を目的としてそれを口にしたのか、今の風太郎にはわかる。三玖の風太郎への思いは、それほど本気ということなのだろう。

   だが、五月以外の他の姉妹は、自分の知らないところで三玖が姉妹全員を巻き込んで風太郎との関係をリセットさせようとしていたことを知っていたのだろうか。また、知っていたとして、三玖の考えに同意したのだろうか。そんなの、するわけがない。


(そうだ。そんなこと、あるはずがないんだよ。だって、あいつらは。そして、一花は───)


   なぜなら彼女たちは、家庭教師を辞めようとした風太郎を家出をしてまででも引き止めてくれたのだから。五つ子全員が風太郎の生徒である以上、風太郎が教師を辞めるということは三玖以外の姉妹全員とも教師と生徒の関係を解消するということになる。つまり、学校以外での五つ子と風太郎のつながりはなくなる。

   三玖としてはそれでいいのかもしれない。しかし、それでは家を手放してまで風太郎に教えを求めた他の姉妹の覚悟は。ずっと風太郎を必要としていた少女の想いは。自分のためだけでなくみんなのために、勉強も仕事も必死に頑張っていた一花の努力はどうなるのか。


(あいつの頑張りが全部水の泡と化すだなんて、そんなの、あんまりだろうがよ……)


   家庭教師を解消させられるかもしれないという焦りで余裕がなかったとはいえど、当時の自分の考えの浅はかさに風太郎は歯噛みする。あの時の家族旅行での偽五月の正体は、消去法で一花か三玖まで絞り込むことができた。しかし、一花の愛を知った今だからわかることではあるが、絶対的な確信が風太郎にはある。


(適当なこと言いやがって、何が仕事が忙しくなったから家庭教師解消だ。一花は学年末試験の頃から、ひとりだけずっと仕事と勉強の両立をしていて、結果を残していたじゃねぇか。それに、あいつは、俺を……!)


   ずっと風太郎を気にかけて、家出の決意までしてくれた一花が。一人でずっと、戦い続けていた彼女が。自分の弱さに負けて風太郎を拒絶するだなんてことは、天地がひっくり返ってもありえない。もし仮に風太郎があのまま三玖を見抜くことができずに関係が解消になってしまったとしたら、一花は当然のこと、他の姉妹も強いショックを受けてしまうだろう。姉妹の想いを無下にしようとした三玖の振る舞いを咎めていないのに一花の行動は許さないだなんて、そんな理不尽な話はない。


(だけど、三玖だって本当は自分が間違ってることくらいわかってるはずだ。だって、あいつも一花に感謝していたんだから)


   それでも、風太郎に三玖を責めるつもりはない。彼女は五つ子の中でも比較的初期から風太郎に協力的で、積極的に勉強に取り組み、学年末試験の際には早くから勉強を教える側に入り、風太郎を支えてくれたのだ。五つ子全員の赤点回避という偉業に、三玖が大きく貢献していたことは紛れも無い事実である。

   そんな心の優しい三玖があそこまで思い切った行動に出たのは、自分の望みを叶えるためにどうしても必要なことだったのだろう。彼女もまた、そのことで悩んでいたというわけだ。そんな三玖の助けに、なってあげることができなかった。距離を置こうと判断して三玖に親身に接してあげられなかった風太郎にも全く問題がないとは言えない。


(ったく、これじゃ俺も教師……いや、友達としてまだまだだな)


   五つ子は一人を除いて、風太郎にとって大切な友達なのだ。ゆえに、二人の行動やその動機に驚きこそあれど、風太郎の中で彼女たちの評価が悪くなる理由は全くなかった。

   結論が出たことで、風太郎は意識を切り替える。ただひとり、五つ子の中で特別な一花。彼女を愛する者として、大切な一花の罪の意識を取り除かなければならない。


「な、なんで?  フータロー君……私、君を騙してたんだよ?  反対だなんて、そんな……」

「何言ってんだよ、俺だってお前たちに嘘をついたことがある。だからただのおあいこだ」

「全然おあいこなんかじゃないよ!  私の方が三玖や四葉を利用している分、よっぽど最低なのに……」

「そんなの関係ねーよ。別に三玖は知るよしもないんだし問題ないだろ。結果的に誰も傷ついてないわけだし、そんな気に病むなよ」

「どうして……フータロー君、裏切られたとか、思ってないの?」

「っ……なんでだよ。確かに何も感じないわけじゃねぇけど、たった一度の過ちでそんな理不尽なこと、あるわけねぇだろ」


   風太郎が一花に怒りを覚えることが当然だ、というような一花の疑問。愛をくれる一花ですら、風太郎に対して偏見を抱いているという事実。それは、風太郎の心に刺さる。今までの自分の態度に問題があったのは理解しているが、それでも悲しさを覚えてしまう。


「所詮俺だってお前と同じだ。何度も間違えたり、自分のためだけに嘘だってついた。一花を責める資格はないし、責めようとも思わん」


   そもそも、目的のためなら手段を選ばないというのは、家庭教師を始めたての頃の風太郎にも当てはまるスタンスである。家の借金返済という目標のために。らいはにお腹いっぱい、美味しいご飯を食べさせてあげるために。そのためならば利用できるものは全て利用するという決意のもと、中野家の五つ子の家庭教師を始めたのだ。

   当然その中で、風太郎も嘘をつくことがあった。二乃や三玖、五月に授業を受けさせるためだけに三玖の趣味を否定しなかったり、仮病を使ったりもした。人の道を外れるようなことこそしなくても、自分を正当化し目的の達成のために嘘をつくことに躊躇いはなかった。

   他にも、勤労感謝の日には一花や三玖の誘いを断っておきながら四葉と出かけたこともある。結果的に誘ってきた二人に嘘をつく形になってしまった。もし二人がこのことを知ったら、一花も三玖もいい気分ではないだろう。結局、風太郎も嘘つきであることに変わりはない。


「それにお前、昔の自分がどうとか言ってたけど……別に、ガキのころなんざやんちゃしてて当たり前だろ。俺なんて小6にはもうピアスあけてたんだぞ」

「ぁ……」

「トランプの罰ゲームで友達にトラウマを植え付けるようなやべーことだってしたし、本気で人生に勉強なんて必要ねぇって思ってたしな。昔の俺は問題児以外の何者でもなかった」


   黒歴史というわけではなくとも、積極的に話そうとは思わないかつての自分。それでも風太郎は自分の過去をさらけ出す。一花の罪悪感を取り除くためなら、できる限りのことをしてあげたい。


「…………そ、そこまで?」

「そうだ。まぁ……確かにお前のやり方は褒められたものじゃない。だけど、少なくとも旅行の時からずっと、一花も悩んでたんだろ。いくら俺でもお前の様子が変だってことは気づいてた。悩みの検討がつかなかった上に三玖が誤魔化したから、てっきり解決したのかと納得しちまってたが……」

「……なんの話?  そういえば前も変装がどうとか言ってたけど、旅行で三玖となんかあったの?」

「……まぁ、ちょっとな。とにかく……お前の一連の行動は、今まで我慢してた分、ブレーキが外れたってことなんだろ。お前も、大変だったんだよな。今までよく頑張ったよ」


   ずっと風太郎の存在を必要とし求めていたのに、一花は妹のために自分の気持ちを抑圧していた。それでもなお、時を重ねるにつれ膨れ上がる想い。そうして募りに募った想いが溢れ出て暴走した結果、卑怯な手段を用いてでも戦うことを一花は選択したのだろう。

   だが、一花は考えを改めた。風太郎には何がトリガーになったのかはわからないが、一花は勇気を振り絞り、自分の姿で、言葉で戦うことを選んだのだ。そして、その想いの強さはしかと風太郎に伝わっている。彼女の今日一日のアプローチとここで告白した嘘が、何よりの証明である。一花には嘘を話さないという選択肢もあったはずなのに、それでも玉砕覚悟で己の全てを打ち明けたのだ。風太郎と、本気で向き合うために。


(これは一花の真剣な気持ちなんだってこと、俺にだってわかるさ。だから───)


   風太郎は知っている。成功は失敗の先にあるのだと。一花も自分の失敗から学んだからこそ、今日という充実した一日を共に過ごすことができたのだ。

   そんな一花の精一杯の勇気を、拒絶するだなんてありえない。


「あのな、一花。俺にとって妹、らいははとても大切で、あいつの願いは全て叶えてやりたいと思っている。だが、そんなのは俺の事情だ。全ての長男長女が俺みたいに考えてるわけじゃねぇんだし、一方的に俺の価値観を押し付けようとは思わん。一花は一花のままでいい」

「…………」

「だから、お前が長女だからって、妹のために自分の気持ちを押し殺し続ける必要なんてないんだ。無論善悪の判断はつけるべきだが、五つ子なのに一花一人だけずっと我慢するだなんて、そんなのは公平じゃないだろ」

「……フータロー君……」

「つーわけで、もうこの話は終わりにしていいと思うぞ。俺も強くは言えないけど、あいつらだって一時の感情に任せて優先順位がわからなくなって、暴走するやつらばっかじゃねぇか。誰にもお前を責める資格はねぇんだよ」

「……だけど、私は……」


   二乃と五月の家出、四葉の明らかに無謀な勉強と部活との両立や、三玖の家庭教師解消宣言。彼女たちにも様々な葛藤があったとはいえど、当時の風太郎にとって絶対であった家庭教師のアルバイトの継続の危機に、風太郎もたくさん頭を悩ませた。贔屓じみた発言だとわかってはいるが、それらと比較したら一花の嘘はかわいい方ではないかと風太郎は考えている。

   だいたい、風太郎はもちろんのこと、引っ込み思案な三玖でさえも自分の望みがあり、それを叶えるために生きていて、あのような行動を起こしたのだ。ひとりだけそうは考えていないように思える例外が五つ子の中に存在するが、基本的に人間誰だって自分が一番大切で当然である。自分のために嘘をついたくらいで、風太郎が一花を嫌いになることはない。


「でも、やっぱ……ダメだよ。私、自分を許せない。自分の役割を忘れて自分勝手な幸せを望んで、君の信頼を裏切って……こんなお姉さん失格な私は、幸せになっちゃいけない。私なんかと一緒にいたら、性格の悪さが移っちゃうよ」


   だが、一花の表情は未だ晴れない。先程公園で遊んでいた時とは正反対の姿。自分なりにではあるが優しく、しかし嘘偽りない本心を述べた風太郎ではあるが、まだ一花の心の壁を崩すには至らないようだ。


「……そうかよ。ここまで言っても、お前はなんもわかってねぇんだな。本当に、呆れるほどに馬鹿なやつだ」

「…………あはは……そうだよ、幻滅したでしょ?だから、こんな馬鹿で最低で性格の悪い嘘つきの私じゃなくて、もっと頭の良くて優しくて性格の良い、素直な女の子と───」

「そうじゃねぇよ。いいか、一花。自分の言葉で伝えろって言ったのは他でもないお前だ。それを否定なんてさせないからな、よく聞けよ」


   俯き、徹底的に自分を否定する一花。風太郎が気にしていないと言ったところで、一花の心に掬う罪悪感は消えない。ならば、どうすれば一花に気持ちは伝わるのか。


   答えは、ただひとつである。


「俺がお前のことを、隠し事や嘘のひとつやふたつ、いや、いくらでもあろうが嫌いになることなんざありえねぇんだよ」

 

 

 


   その強固な心の壁を、突き破るまで。愛を込めた直球勝負で、一花の心に響かせてみせる。

 


   ───今度は、俺が一花に愛を与える番だ。

 


「えっ……」


   真剣な気持ちを伝えることに勇気もなにも必要ない。今の風太郎を突き動かすものはただひとつ。自分の愛を、分からず屋の少女に知らしめてやりたい。


「人間、誰にだって間違いはある。俺だって、勝手に家庭教師を辞めてお前たちを傷つけた。お前たちの気持ちを、優しさを。汲み取ることができずに、無下にしちまったのは俺も同じだ」

「な、なんでよ、フータロー君は自分の事しか考えてない私とは違う。確かにフータロー君が辞めた時みんな悲しかったけど、あくまで君は私たちの事を考えて……」

「それでもお前たちを悲しませたのは事実だ。だけど、そんな俺を……お前たちは引き止めてくれた。一花の家出の発案に、一番救われたのは間違いなく俺なんだよ。あいつらも、そんなお前の覚悟を信じてついてきてくれたんだ」


   自分のためだけでなく、妹や風太郎のことを考えての一花の提案。しかしこれもまた、風太郎を必要としていた一花の愛と勇気があってこそだ。妹を思う気持ちだけではないに違いない。


「……でも、今の私は妹たちに信頼されているようなお姉ちゃんじゃない。こんな嘘まみれの私が、フータロー君の隣にいる資格なんて……」

「だからそこがわかってねぇっつってんだよ。騙されたなんて思ってないし、そもそも俺はお前が姉だから好きになったわけじゃねぇ。それ以外にも俺は一花の魅力、そこらへんの奴らより何倍も知ってるつもりだ」

「……私の、魅力……?」

「ああ。お前が納得するまで何度でも伝えてやる」


   確かに、姉としての一花が頼もしい存在であるのは事実である。だけど、違う。本当に、一花は何もわかっていない。誰からも好かれる愛想の良さと、お日様のような明るさを持つ少女。それだけでなく自分の夢を持っている一花は、風太郎にとってとても眩しい存在なのだ。

   やたらと性格の悪さを主張している一花だが、ほぼ全ての人が自分の幸せのために生きている以上、常に聖人君子であることができる人など存在するわけがない。決して自分も余裕があるあったわけではないだろうに、それでも一花は一度も風太郎を邪険に扱うことはなかった。そんな魅力に溢れている一花が、転校してきてすぐ人気者になるのは当然といえる。


「自分で自分の目指す道を決められる芯の強さ。夢のために身を削ってまでがむしゃらに突き進むことのできる向上心の高さ。そして……出会ったころの俺みたいな冷たいやつにも嫌わずに友好的に接することのできる、人を思いやる優しい心。成熟さと優しさを兼ね揃えているところが、一花の魅力だと俺は感じている」

「……っ……」

「それだけじゃねぇ。お前は五つ子の中で、間違いなく一番の努力家だ。苦手な勉強にも一生懸命取り組んで、学年末試験では姉妹の中で一番の成績を取ってみせただろ。しかも、あいつらと違って仕事との両立をした上でだ。お前が俺の知らない所でどれだけの努力を重ねてきたのか、想像もつかない。一花、お前は本当にすげぇやつなんだよ」

「……そんな、私なんて……」


   後ろめたさからか、一花は風太郎の言葉を素直に認めない。しかし、普段から一花は自分の長所を鼻にかけたりする少女ではないことは風太郎はよく理解している。妹を思う気持ちは同じでも、他人への態度は風太郎と一花では大きく違う。

   一花の決して他者を見下さず、基本的に誰にでも優しくあれるその姿。一花は姉だから優しいのではない。人をよく見ていて気遣える優しさがあるからこそ、姉として認められているのだ。それはやんちゃしていた昔の一花にも絶対にあったものだと風太郎は確信している。今こうして五人で仲良く暮らしているという事実は、五つ子の絆が揺るがないものであることの証明だ。

   そんな中野家の五つ子と出会い、愛を与えられて、風太郎は変わることができた。


「本当に、俺はどうしようもない馬鹿だ。勉強しか取り柄がないのにそれを自慢げにして人の気持ちを考えようともしないやつを、誰が必要として、求めてくれるんだって話だ。こんな簡単なことにすら、全然気付けなかった。それなのに、お前は……」


   時間をかけて心と心を通わせることで、人は初めてお互いに理解し合え、信頼を育むことができる。一方的に自分の都合を押し付けるだけでは、絶対に成り立たないものがある。


「試験勉強が思うように進まなかった時も、あいつらとの接し方に悩んでた時も。一花、いつだってお前は俺を気遣って、助け舟を出してくれた。どうして俺にそこまでしてくれるのか、ずっとわからなかった」


 だけど、一花は。最初から、ずっと。


「でも、今の俺ならわかる。姉としての義務感だとか、友情からのお節介だとか、それだけじゃない。お前は最初からなによりもずっと、心のどこかで俺を必要な存在と思ってくれていたから、あんなにも気にかけてくれたんだ」


   変わろうとして最初から風太郎に協力的だった四葉の存在や、学力の高さ(中野家の五つ子比)を活かして負担を減らしてくれた三玖にも風太郎は感謝している。五月も風太郎を勇気付ける心強い言葉を何度も伝えてくれた。二乃も風太郎を敵視していた頃も家庭教師を継続させる一言を彼女たちの父親にかけてくれたりと、風太郎を助けてくれたのは、何も一花だけに限った話ではない。


   ならば、なぜ風太郎にとって一花だけが特別なのか。


   風太郎が思い出すのは一花と初めて出会ったあの日。同級生なのにお姉さんを気取っていて、全てを見透かしているような目を持つ少女。勉強嫌いではあっても彼女は風太郎を敵視することなく、最初から友達だと思って接してくれていた。一花に自覚はないだろうが、その瞳にはすでに少なからず風太郎への愛が篭っていたのだ。だが、その矢印は一方通行ではないと、すでに風太郎は自覚している。

   一花と出会って一月程度しか経っていないのに、花火大会のあの時、風太郎が彼女の作り笑いを見抜くことができたのは。恋だとか青春をエンジョイだとか、自分の価値感にそぐわないものは容赦なく否定していたかつての風太郎でも、一花の言葉は日常のワンシーンのものですら思い出せて、記憶に残っているそのわけは。


   きっと、風太郎も一花を、出会ったあの時からどこかで意識して、特別に感じていたからなのだ。そんな一花だからこそパートナーと認め、五つ子の中で唯一、自分から中野家の五つ子の家庭教師をする理由を打ち明けたのである。

 

「俺にはそれが、たまらなく嬉しい。俺はずっと、誰かに必要とされる人間になるために勉強してきたんだ。勉強が全てっていう考えは間違っていたけれど……それでも、そんな間違えてばかりの俺でも。お前はずっと、見放さないで俺のことを助けてくれた」

「……ダメ……」

「ありがとう、一花。ずっと俺を気にかけて、支えてくれて。こんな俺を、好きになってくれて。おかげで俺も、自分の気持ちに気づくことができた」

「やめて、優しくしないで……絶対、後悔することになる。こんな嘘つきで嫉妬深くて自分のことしか考えてない私は、フータロー君もみんなも傷つけることしかできない。だから、私は、君から離れなくちゃいけないのにっ……!」

「あぁ、お前は嘘つきだ。自分の心に嘘をついて、必死に俺の前から消えようとしている。でも、俺にはわかるんだよ」


   いくら一花が嘘で心を固めようが、風太郎にはお見通しだ。もはや大切な存在である一花の本心を汲み取ることなど造作もない。彼女の中には、絶対にゆるがない想いがある。それは───


「一花が今日、伝えてくれた溢れるほどの愛。そして、俺を好きだと思ってくれる心。これが嘘だなんて、ありえねぇ。あんなに幸せそうな笑顔の一花を見れて、俺も嬉しかったんだぜ」

「お願い、もうやめて……これ以上君の優しさに甘えたら、私……!」

「問題なんてなんもねぇよ。姉は人に甘えちゃいけないだなんて、そんなの誰が決めたんだって話だ。嘘つきだろうと、俺の一花への愛は変わらない。だから、改めて伝えさせてくれ」


   愛。

   家族旅行の時にやたらその言葉を耳にするも、あの時の風太郎にはわからなかったもの。それでも一花は、ずっと伝えてくれていた。

   一花が心の底で風太郎を求めているから手を差し伸べるのではない。他ならぬ風太郎自身が一花を愛し、求めているのだ。だから、一花の心に届くまで何度だって伝えてみせる。この気持ちは、たとえ一花であろうと否定させない。


「一花。俺もお前が大好きで、愛しているんだ。姉としてあり続けたお前を、支えたい。だから、これからもずっと、俺の隣にいてほしい」


   生徒としてでも、友達としてでもない。もはやその程度では、風太郎も満足できない。自分たちにはパートナーとしての究極系の前段階、恋人こそがふさわしいと、風太郎は自信を持って一花に告げる。


「俺には、一花が必要なんだ」


   人は、決して自分の力だけでは生きていけない。一花の愛がなければ、今の自分はなかったのだから。もはや一花の存在は、風太郎の中で大きくなりすぎている。今までずっとひとりで戦い続けてきた、強く優しくも儚い一花。そんな彼女に必要とされている自分を、誇らしく思える。


 「…………なんで」


   一花の涙が頬をつたう。ようやく、心の壁を貫くことができたようだ。一花がずっと涙を堪えていたことを、風太郎は当然見抜いていた。


「なんで……どうしてぇ……」


   顔を歪ませ、大粒の涙を零す一花。罪悪感で自分を責め続け、心はボロボロになっていたのだろう。それでも、姉としてある中で身についた我慢強さで、必死に普段通りを装っていた。


   だけど、もう。そんな強さは、なくていい。


「……あんなに、ひどい嘘、ついてたのに……君の信頼を、裏切ってたのに……私のこと……許して、くれるの……?  私……フータロー君の隣に、いてもいいの……?」

「許すも許さないもねーよ。もう俺たちは恋人同士で、お前は大切な彼女なんだ。俺がお前を信じる理由なんて、それだけで十分なんだよ」


   今にも崩れてしまいそうな一花の姿を、風太郎は強く抱きしめる。彼女の心を、その温もりを守りたい。


「俺はどこにもいかない。一花が望む限り、ずっとそばにいるから。だから、もう俺の前では我慢なんてすんな。泣きたい時は思いっきり泣け。甘えたい時は遠慮なく甘えてこい。喜びも、悲しみも。これからはずっと、俺と一花で二等分だ」

「フータロー、くん……!  っく、ううっ……うわぁあああん!!」


   涙腺が決壊し、一花は風太郎の胸の中で声を上げて泣き噦る。感情を剥き出しにしている一花を見るのは風太郎にとって初めてのことだ。


「フータローくん、フータローくんっ……!」


   母親が亡くなってから妹たちを導くために姉にならなければいけなくなって、妹たちを優先するようになった一花。一人で責任を背負いこむうちに、誰にも甘えることは許されないと感じていたのだろう。それでも一花は風太郎の前だけでは、姉でいる必要はなくなる。素直にひとりの少女として、甘えることができるのだ。


(やっぱり、俺とお前は、同じなんだな)


   そして、風太郎は気づく。自分自身、甘えたいという感情を忘れていたことに。過酷な環境でずっと勉強に明け暮れていた風太郎にとって日々を生きることは戦いであり、いつしかそんな思いは頭の中から消えていた。

   思えば公園での膝枕の時、一花は言葉にしていた。いつでも甘えてくれていい、と。ずっと風太郎を気にかけていてくれた一花は、心から風太郎の身を案じていたのだろう。


(俺も、今度、少しだけ……)


   決して走り続けて疲れたわけではない。しかし、自分を必要としてくれる一花の存在を得て、風太郎は自己実現を成し遂げることができた。無論、教師としてのゴールはまだ先であり、卒業の後も長い人生が続く。それでも、もう今までのようなハイペースを維持する必要はないのだ。重りを外したような開放感。そんな精神的に余裕のできた風太郎の心に、ある思いがこみ上げてくる。


(一花に、甘えてみたい……なんて言ったら、笑われちまうかもな。でも……)


   一花からの愛をもらわなければ、風太郎には生まれることのなかったであろう欲求。お互いに信頼し支え合い、甘えたいと思える相手ができたことを、風太郎はとても嬉しく思っている。すでに、風太郎の中で一花はらいはと同じかそれ以上に大切な存在だ。今まで風太郎は、らいはの笑顔をそのまま自身の幸せとしてきた。それが風太郎にとっての全てであり、彼女のために自分の時間を捧げることに何も抵抗はなく、苦だとも思わなかった。

   だが、そんな目に入れても痛くない妹ももう中学生なのだ。身体は弱くともしっかりしているらいはの心の強さに、少しだけ頼ってもいいのかもしれない。もともと、風太郎が自分で縛ると決めた鎖である。なら、勝手に緩めようが誰も文句は言わないだろう。


(俺も、すっかりわがままになっちまったな)


   それでも風太郎の心はとても晴れやかだ。これからの一花と共に過ごす日常に、胸を膨らませる。一生に一度の高校生活、してみたいことがたくさんある。彼女と見る景色は、きっとひとりの時とは違うはずだ。でも、今の風太郎の望みはただひとつである。

   たくさんの愛を与えてくれた一花を、甘えさせてあげたい。優しく、暖かいこの気持ち。どうかずっと、失わずにいたい。

 

 

 

 

 


   どれくらい、こうしていただろうか。すでに一花は泣き止んでいるが、まだ顔を見せてはこない。一花がこの部屋に来た直後と同じように静寂が部屋中を包み込む。しかし、お互いに緊張を感じてはいない。風太郎も一花も、愛する人が側にいることに安心感を覚えていた。


「フータロー君……」


   一花が顔を上げる。まだ顔は赤いが、涙は止まったようだ。もう、一花が教えてくれた五つ子マニュアルを引き出すまでもない。一花には自然に、なおかつ優しくが基本だ。


「……落ち着いたか?」

「うん、もう大丈夫!ありがとねっ」


   風太郎から離れ、立ち上がる一花。声も表情も明るいものに変わり、復活を印象づける。頑張った甲斐があったと、素直に風太郎は思えた。


「あのね、フータロー君」


   一花の言葉を受けて、風太郎も立ち上がり彼女と向き合う。今の自分たちは教師と生徒以前に、恋人で対等な存在なのだ。愛する彼女の真摯な想いを、全身全霊で受け止めたい。


「私、フータロー君が好き。時折見せる子供っぽい意地悪な態度も、文句を言いながらもわがままな私たちに寄り添ってくれる優しさも、全部、全部大好きなの」


   その表情は優しく、安らぎを覚える暖かいものだ。


「もう、フータロー君なしの人生なんて考えられない。私にとってフータロー君は、心が迷子になっていた私を見つけてくれた、たったひとりの王子様だから」


   だけど、言葉に秘めた愛はとても強く、どこまでも、まっすぐで。


「そんなフータロー君と、私は……未来永劫、添い遂げたいの。もう私の心も体も、私だけのものじゃない。君と一緒に、お互いに支え合いながら、生きていきたい」


   風太郎の心を貫くには、十分すぎる威力であった。今日風太郎が一花と過ごす中で理解できた、愛の形。相手から受け取るだけでなく、返したいと思う感謝の心。


「だから、これからもずっと私の隣で……私を見ていてほしい!  女優として、ひとりの女として……私、もっともっと輝いてみせる!  お願いです、私の……彼氏に、なってください!」


   答えが変わることはない。愛を知った風太郎は、普段であれば恥ずかしいはずのセリフを伝えることに躊躇いなどない。後々悶えるとわかっていても、今の風太郎は一花の前ではカッコつけたいとすら考えてしまっている。


「そんなの当然だ。さっきも言っただろ。俺はどこにも行かない。ずっとお前の隣にいるって。だから……これからもよろしくな、一花」

「……!  フータロー君っ!  こちらこそ……不束者ですが、末永く、よろしくお願いします♡」


   家に来てからは初めてである。ようやく見れた、笑顔の花。一花の心からの笑顔が、風太郎には何より嬉しい。

   悪ガキだったあの頃を思い出す。毎日が明るかったようで、どこかぽっかりと心に穴が空いていたような日々。でも、あの時とは違う。風太郎は一花に必要とされていて、風太郎も一花を必要としている。お互いを認め合い、強い絆と愛で結ばれているのだ。もう、ひとりではない。


「うう、これで私たち、正真正銘、彼氏と彼女の関係になれたんだ……!  どうしようフータロー君、私、嬉しすぎてどうしていいのかわかんないよ!  もう私たち、あんなこともこんなこともエッチなことも、なんだってできちゃうんだよね……♡」

「落ち着けって……まあ、改めて口にすると、なんだか、その……今までの日常とは変わるんだってのを実感しちまうな。テンションがよくわからなくなっているのは、俺もだわ」


   さりげなく飛んできた爆弾発言は聞こえないふりをしつつ、風太郎は一花の言葉に同意する。どうにも落ち着かない、そわそわしている感じのこの謎の胸の昂りは、どう処理してくれようか───閃いた。


「と、とりあえずっ!  もう私、容赦なんてしない!  これからはもう、二人っきりの時は思う存分甘えちゃうよ!  私がどれだけフータロー君にメロメロなのか、たっぷり思い知らせちゃうんだから!  覚悟しててよねっ♡」


   ウインクをしつつ、一花は風太郎に直球で愛を伝える。今日幾度となく、風太郎を赤面させてきた火の玉ストレートだ。だが、もう風太郎は怯まない。受け止めたボールは、しっかりと相手の目を見て投げ返す。

 しかし、ここで風太郎が一花に返すのはちょっとした変化球だ。


「おう、かかってこいよ……と言いたいところだが、今日ばかりはそうはいかねぇ。ここは俺の家だからな。デパートや公園では散々俺をドキドキさせやがって。今度は俺のターンだ」

「ふふっ、やっぱフータロー君も、意識してくれてたんだ……嬉しいっ♡」

「余裕ぶっこいてられるのは今のうちだぜ。やられっぱなしじゃ気が済まないんだよ。だから───」


   風太郎は一花に指差し、宣言する。ずっと一花のペースで振り回されてばかりでは、男が廃るというものだ。やり返したいという思いは確かにある。

   だが、それだけではない。これはまだまだ一花を甘えさせてあげたいという、風太郎のわがままでもあるのだ。


「ここでは俺のやり方で、一花には俺に甘えてもらう。拒否権なんざないからな」

「…………ふえ?」


   今さっき絶対メロメロ宣言をかました一花ではあるが、彼女がまだ完全に罪悪感を拭えているかどうかは風太郎にはわからない。今まで姉であり続けた中で染み付いた遠慮しがちな考え方は、そう簡単には変わらないだろう。自分の気持ちを押し殺して偽物の笑顔を浮かべる一花を、風太郎はもう見たくないのである。

   ならば、自分に遠慮はいらないということを、しっかりと証明しなければならない。言葉で、行動で。何事も最初が肝心だ。


「えっと……フータロー君?」

「あんだよ一花、文句は受け付けねぇぞ」

「俺のやり方で甘えてもらうってのは、つまり、その……フータロー君が私を、リードしてくれるって、こと?」

「あぁ。これでもかっていうくらい、たっぷりドキドキさせてやるよ」

「ええっ!?  嘘、でしょ……?」

  

   驚きのあまり、口元を押さえて後ずさる一花。そのリアクションは風太郎の心を刺激する。


「俺は本気だからな。今までいいようにやられた分、倍返しにして返してやる。平常心でいられるなんて思うなよ」

「そ、そんな……♡  私、強引に……フータロー君に、男らしくヤられちゃうんだ……♡」


   だが、行動とは裏腹に一花の口から発せられる声のトーンは、嬉しさと期待に満ちている。このような艶めかしい姿は、五つ子の誰にも真似できないだろう。風太郎に一花を傷つけるつもりは一切ないのに、少しばかりの嗜虐心が湧いてきてしまう。


「というわけだ。覚悟するのは俺じゃねぇ、お前だぜ、一花。もう逃がさねぇからな」

「やだ、フータロー君、こわいよぉ……♡  私、どうなっちゃうんだろ……♡」


   余裕のある笑みを浮かべ、風太郎は告げる。それでも、一花の表情に怯える様は見受けられない。それどころか、うっとりとしている一花の瞳の奥には、ハートマークが見える気さえしてしまう。彼女の反応を見て方向性を間違えたかと思わなくもないが、これくらい彼女のボルテージを上げた方が遠慮なく甘えられるだろうと風太郎は結論づけた。

 

 

 


   上杉風太郎と、中野一花。互いに寄り添い甘えられる存在を得た二人に、怖いものなど何もない。愛を知った二人は、もう無敵だ。

 

 

 


「よし、一花。一緒に寝るぞ」

「ええっ!?  ホントにヤるのっ!?」

 

スタイルチェンジ #5

 


   ───思い出すのは、転校した学校で出会ったあの日。少女は後に知ることではあったが、初対面ではなく、再会だった。

   旭高校への転校二日目、昼休みの食堂にて。


   真面目だけど意地っ張りな末っ子。そんな彼女に話しかけようとしていた少年は、最初は末っ子を狙っているものかと思っていた。五つ子の長女であり妹思いの少女ではあるが、少年に対して警戒心などを抱くことはなく、むしろ少年に興味を持った。

   少女が初対面の異性に話しかけるのは珍しい。今まで特別気になる男性など存在しなかった少女なのだ。頻繁に男性に告白される彼女にとって、男性とは話しかけずとも相手から寄ってくるものなのである。


   実際に話してみると意外と男らしい一面もあって、悪い人でないことはすぐにわかった。からかいがいがあって見ていて面白いと感じ、素直に仲良くできたらいいなと思えた。しかし、少女から見た少年の性格は真面目なガリ勉くん。どう見ても自分とは正反対なその在り方を見ると、仲良くなるのは難しいかもしれない。

   なのに、なぜだろう。背は高くとも第一印象は地味目でパッとしない感じだというのに、なぜかあの少年の存在は目に焼き付いている。もうその姿を忘れることはなさそうだ。


   今なら、その理由はわかる。面白そうだとか、そんな軽いものではない。彼の姿を一目見た、あの時からきっと。心のどこかで感じていたのだろう。

 

 

 


   もしかしたらこの男の子は、私の───

 

 

 

 

   公園を後にした風太郎と一花。二人は電車に乗って移動し、今は見慣れた風景の映る通学路を歩いている。

   現在の時刻は14時半。一般的な高校生はまだ学校で学生としての本分を全うしている時間だ。ここで二人が警察に見つかったら即座に補導一直線コースである。

   だが、一花はそんなのお構い無しと言わんばかりの幸せそうな表情で風太郎の腕に抱きついており、風太郎も落ち着いた表情でそれを受け入れている。誰もがこの二人組を学校をサボってイチャイチャしているラブラブ高校生カップルと認識し、呪いの言葉を紡ぎたくなるであろう。

   そんな美少女の彼女を得てリア充街道まっしぐらの風太郎。しかし、彼は表情こそ普段通りを装っているが、その心中は決して穏やかではなかった。


(……やってしまった)


   風太郎は隣で腕に抱きついている一花を横目で見る。本当に幸せそうに、風太郎に身を寄せている。浮かれているのかわからないが変装用の眼鏡も装着していない。

   確かに、この少女は風太郎にとってかけがえのない存在、といえるものだ。ゆえに、自分の行動を後悔しているというわけではない。

   だが欲に流されてはいけなかった。教師である上杉風太郎から、生徒である中野一花へのキス。それは完全に彼女と関係を持つ、ということに他ならない。公園でのダンスの前までは、一花以外ともじっくり向き合っていかなければならないと思っていたというのに。気持ちが抑えきれず欲に負けて、自分から決着をつけてしまった。

   それにあたって風太郎が懸念としているのが、今後の家庭教師の仕事だ。生徒の一人と関係を作ってしまった以上、今まで通りに五つ子全員に教えようとしても、絶対にどこかで綻びが生じてしまうだろう。他にも好意を寄せてくる生徒がいるのだから、トラブルになるのは容易に想像できる。せっかく給料を再びもらえるようになったというのに、最悪再び退任の覚悟を決めなければならないかもしれない。自分の未来のためにも自分たちの関係を隠し通すのか、打ち明けるのか、一花と話し合う必要がある。


(……一花は一体、どう思っているんだろうか。こいつだって女優の仕事があるんだから、いろいろと整理しねーと……)


   あれこれ考えているうちに、教師とその生徒はとうとう目的地である教師の家に到着してしまう。妹も父親もいない二人だけのこの家で、一体何が起こるのか。一花は、何を期待して風太郎の家に来ることを望んだのだろうか。いくら恋愛初心者の風太郎でも、この程度の問題は楽勝だ。解答は、おねだりをしてきた時の一花のあのトロンとした表情を思い返せば簡単に───


(……………………いや、ダメだダメだダメだ!いくらなんでもそれはマズい!)


   必死に煩悩を振り払う。確かに風太郎は一花への愛を完全に自覚し、彼女の想いに答えた。とはいえど、そんな初日から一戦交える気はさらさらない。ただでさえ借金返済やその手段の消失の危機で頭がパンクしそうだというのに、これ以上のハプニングは風太郎の許容範囲を超えている。しかしここまで来て彼女を追い返すわけにもいかない。拒絶したら一花が悲しむことくらいは風太郎でも容易に想像できる。慣れた手つきでドアの鍵を開け、一花とともに自宅へ入る。


「……ただいま」

「お邪魔しまーす……」


   まだらいはが通う中学校の授業も終わっていない時間なので、返事をする者は存在しない。居間まで歩き、腰掛ける。さすがの一花も緊張を感じているのか、風太郎から少し離れた位置で正座をしている。長い時を過ごした家だというのに、全く持って落ち着かない。以前家出した五月が来た時にも感じていたそれ以上の緊張が風太郎の心を覆う。気まずい雰囲気が部屋中に充満するのを感じるが、この時間を無駄にしてはいけない。風太郎は脳をフル回転させ、この局面を無事に乗り切る方法を考えようとする。このまま流されるのは確実にお互いの将来にとってマイナスでしかないだろう。

   だが、愛を学んだとはいえど風太郎は恋愛は赤点のド素人なのだ。すぐに解決策など思い浮かぶようならとうの昔に彼女いない歴=年齢の方程式は崩壊している。そもそも、強い緊張で頭が冷静になりきれないこともあって思考は上手くまとまらない。


「ねぇ、フータロー君」


   この場所は今は風太郎だけの世界ではない。長い沈黙についに痺れを切らしたのだろうか。思考を巡らせていた風太郎の脳に、生徒から彼女へとクラスチェンジを遂げた一花の言葉が届く。風太郎へ距離を詰めてきているあたり、少し緊張がほぐれたようだ。

   未だ解決策は閃かないが、二人しかいない空間で彼女の言葉を無視するわけにもいかない。風太郎は一花の方を向き、返事をする。

 

 

 


「……なんだよ」

「その……しないの?」

 

 

 


   上目遣いで、期待の篭る眼差しを風太郎に向ける一花。みるみるうちに風太郎の顔は赤く染まる。彼女が何をご所望かなんて考えるまでもない。


(本気……なのか……!)


   正直なところ、風太郎はどこかで期待していた。こんなお約束な展開はありえないと。こういうものは自分の勘違いで終わり、こちらが悶々としたまま次の展開に移行するのだと。そんな自分に都合の良い流れは、今日の一花を見る限りありえないというのに。

   中野一花という少女は五つ子の中でも大人の雰囲気を漂わせており、男の欲を刺激するような小悪魔的な言動も多い。一花が性に関心があるような様子も風太郎には心当たりがある。それに加えて今日の風太郎への大胆なアプローチを考えると、性に積極的なその姿勢にそこまで違和感は感じない。さすがの風太郎でも、好きな相手とひとつになる行為に全く何も意識しないということはできず、心拍数は跳ね上がり冷静ではいられない。

   しかし、風太郎にも為さねばならない目的がある。ここで誘惑に負けて猿になってしまっては今後の生活がどうなるかわからないのだ。いくらヘタレと罵られようが、ここは折れてはいけない場面である。風太郎は強い意志を持ち、一花を説得する。


「ちょ、ちょっと落ち着こうぜ。俺たち、まだ初日なんだぞ」

「なんで?  あれほど絆と信頼を深めた私たちに、時間なんて関係ないよ。私は愛してるフータロー君と一緒に、いろんな初めてを経験したいの。もちろん───エッチなことだって」

「……!!」

「フータロー君はこんな私のことは、嫌い?  私とはエッチ、したくないの……?」

「っ……!」

「…………」


   場所が変わっても一花の攻めの姿勢は変わらない。上目遣いのまま瞳を潤ませて、求めてくる一花に風太郎は陥落寸前だ。なんとか彼女の不安を否定しようとするも、緊張もあってこの状況を覆せる上手い言葉は出てこない。どう見ても風太郎が劣勢である。


「そ、そういうわけじゃねぇよ。だけど、その───」

「ていうかフータロー君、私の裸見たことあるんだし、今更恥ずかしがらなくてよくない?」

「……へ?」

「それなのに、二乃とも裸の付き合いなんでしょ?  私だってまだフータロー君の裸、見たことないのに……」

「は、はぁ!?  ちげーよお前、あれはただの言葉の綾だ!  大体、一花のだって全部見たわけじゃねーだろ!」


   しかし、打って変わって風太郎への不満を口にする一花。いつのまにか表情も懇願するような上目遣いから愛嬌を感じる頬を膨らませているものに変わっている。あまりに予想外な一花の返答に、風太郎は驚きを隠せない。

 だが、大胆な発言に変わりはなくとも、表情と釣り合わないせいか風太郎の緊張は若干薄れていた。勢いよく、彼女の言葉を否定する。


「まぁまぁ、落ち着いてフータロー君。これはいつもの家庭教師と変わらないよ。ただ授業内容が保健体育ってだけ。ということで……せーんせっ、私にいろいろ、男の人のコト……教えてぇ♡」

「無茶言うな!  保健体育は専門外だ!」

「そっか、じゃあ今回は私が先生だね!  体育は四葉ほど得意ってわけじゃないけど、まかせて!  手取り足取り、教えてあげるよっ♡」

「体育は赤点なんだ!  授業は拒否する!  そもそも授業料は払えないからな!」

「そう?  じゃあ保健にしよっか!  ……こほん。それではフータロー君、保健の授業を始めます。まずは、女性の身体について……」

「話聞いてんのかお前は!  ていうかその手を止めろ!  人の家で脱ごうとするな!  まだ睡眠時間には遠いだろ!」

「ごめん……先生だったら、眼鏡かけたほうがいいよね。よっと……フータロー君、これでどう?  それっぽく見えるでしょー」

「確かに担任はつけてるけどそんなのどうでもいいわ!  こだわりなんざねーよ!」

「えー?  現役JK女優の身体を自由に弄ぶことのできる、せっかくの機会なんだよ?  ほ、ほら、この胸だって、フータロー君の好きに……」

「持ち上げながら言うな、そんなの反則だ!  ていうか先生なのか女子高生なのかどっちなんだよ!」

「ツッコミどころちょくちょくズレてない?」


   繰り広げられるのは一花無双と言わんばかりの過激な発言のオンパレード。それに合わせて彼女自身の表情もコロコロ変わる。どの表情でも顔を赤らめてはいるが、風太郎の彼女の称号を得たせいだろうか、その口振りは絶好調である。

   だが、押されてこそいるが風太郎も負けてはいない。一花の数多の甘言を風太郎は冷静にとはいかずとも、しっかりと彼女の目を見て返せている。言葉による一花の誘惑というものは公園でもあったものだが、さすがに慣れてきたということなのだろうか。


(いや、違う)


   帰宅直後は緊張に思考を妨げられていた風太郎だが、なぜか今は比較的落ち着いている。疑問に対する回答が瞬時に浮かんだ。先程公園で一花と向き合って、自覚したもの。

 

 

 


   間違いない。愛を、知ったからだ。


   一花の愛に触れて、そして、俺も一花への想いを、自覚したから───

 

 

 


「でも、ひとまずフータロー君もいつもの調子に戻ったみたいだね。よかったー」

「っ!?  いっ、一花……」


   ひとり思考の海に溺れかけていたところに一花の言葉が飛んできたため、風太郎は慌てて言葉を投げ返す。すでに眼鏡を外している一花は舌をチロリと出して悪戯っぽく笑うが、そんなお茶目な笑みはすぐに安心感を与える柔和なものに変わる。


「ふざけちゃってごめんね。もっと上手くフォローできればよかったんだけど……大丈夫?ちょっとは落ち着いた?」

「ああ、まぁ……ある程度は」

「そっかそっか!  それなら一安心だよー」


   一花の狙いは風太郎の緊張を解くことであったようだ。最初の過激なセリフはともかく、これ以上風太郎の動揺に付け込まないあたり、本気で風太郎を求めて発言したわけではないことは確かであろう。一花のこの手の空気を読む力というのはさすがだなと風太郎は思う。他人との関係を築くことを無駄と断じていた風太郎には持っていないものだ。

   しかし、これで話が終わりというわけではなさそうである。一花は不安の入り混じる瞳で風太郎を見つめ、問いかける。


「でもね、フータロー君……私、どうしても知りたいの」

「……何をだよ」

「私、嬉しかったんだ。まさか、フータロー君からキスしてくれるなんて思わなかったから」

「…………」

「……あのキスは、OKの返事みたいなものだと思ってたんだけど……違うの?  私を家に連れてきちゃったこと、後悔してる?」

「いや、そんなわけねぇよ」


   一花の疑問はごもっともである。自分たちの関係を明確にする言葉を、風太郎はまだ口にしていない。だが、自分の気持ちは決まっているのだ。返答に迷うことなく風太郎は一花と瞳を合わせ、偽らざる本心を言葉にする。


「あの瞬間、間違いなく俺はお前に見惚れていた。……恋愛なんて、くだらないと考えていたのに。お前の優しさと愛に触れて、想いに気づいてからは、一花の全てが、愛おしくて、たまらなくって。唇に触れたいって、思ってしまった」

「……!」

「……だから。お前の考えてることは、間違ってない。俺は、一花が好きだ。……ああくそっ、死にてぇ……」


   好意を素直に言葉に乗せることの恥ずかしさ。ダンスの時に頭を撫でた時とはわけが違う。下着戦争の時にも味わったこの感覚を、またしても風太郎は経験してしまう。鏡はないが、今の自分の顔は赤く染まっているのは間違いないだろう。


「フータロー君……!」


   それでも風太郎は、自分の言葉で素直な好意を伝えて一花が喜んでくれることに胸が弾む。改めて風太郎は、これが愛なのだと理解する。


「嬉しいな、ありがとう。私も、フータロー君のこと大好きだよ。君の幸せのためなら、私、なんだってしてあげたい。これから先どんなことがあっても、この気持ちは変わらないよ」

「一花……」


   穏やかな笑みを浮かべる一花。彼女の愛と笑顔は、風太郎の心を暖かくしてくれる。いつまでも、見ていたいと感じている。


「……本当に、ありがとう。また、背中を押してもらっちゃったね」

「は?  別になんもしてないと思うが……どうした?」

「んー……まあ、とりあえず……お話を、しよっか。私たちの、これからについて。話さなくちゃいけないことが、あるから」


   しかし、風太郎を癒すその笑顔は長くは続かず、一花は表情を真剣なものに変える。本日風太郎が幾度となく見たお馴染みのパターンだ。風太郎はその度に緊張を感じていたが、今回はそこから好意の直球のコンボが繋がることはない。自分たちのこれからについてというのは、風太郎も考えなければならないと思っていた事柄である。心は依然として暖かいままなのだが、ここは切り替えなければいけない場面だ。風太郎も冷静に、再び正面から一花と向き合う。


「まず、ひとつめ。私たち、今日いろいろあったけどさ。当分私たちの関係は、秘密にしよう。君は、何があっても私たちの家庭教師を辞めちゃダメ」

「……!」

「フータロー君の家の事情、私忘れてないんだから。せっかくまたお給料をもらえるようになったんだから、変わらず私たちみんなの先生でいて。私だけじゃなくて、みんなもフータロー君が必要なんだから」


   関係を明かさずにいよう、という一花の提案。正直なところ、風太郎が望んでいた答えである。上杉家の家計を大きく支えているこの破格の条件のアルバイトは、そう簡単に手離したくはない。風太郎としてはありがたくはあるが、一花は本当にそれでいいのか疑問だ。姉であるがゆえに遠慮しがちなのはよく理解している。無理をしていないか、確認はしっかり取る必要がある。


「……今まで通り、全員に授業をしろってことか……本当にお前は、それでいいのか?」

「当然だよ。君のためにも、私たちのためにも、約束して。フータロー君が私なんかのことを生徒でいていいと思ってくれるなら、私はもう、絶対にその信頼だけは裏切らない。赤点なんて二度と取らない。これだけは信じてほしいの」

「お、おう」


   教師と生徒としての壁を超えてしまった風太郎と一花だが、それは普段の日常においては解消、ということで結論が出た。こちらの事情を汲んでくれる、一花の優しさの篭る提案に風太郎は素直に感謝している。だが、何か引っかかる。


「あと……そうだ。出世払いって、言ってたよね。これから先、私たちの関係がどうなろうと。年末から三年生になるまでの、授業料は絶対に払う。私だってみんなと暮らす中で、改めてお金の大切さを学んだんだから」

「……ま、まあそこは遠慮するつもりはないが……なんだよ、さっきから。どうしてそんな言い方をするんだ」


   風太郎が感じていた違和感はあっさり判明した。私なんかを生徒でいていいだとか、関係がどうなろうとだとか、この関係が壊れてもおかしくはないと考えている一花の物言いである。体力のない風太郎には、男らしい力というものはない。だが、今の風太郎は彼氏として一花を思う心がある。大切な存在と化した一花が自分を卑下るようなその言い方に、風太郎は少なからず不満を感じていた。


「それはすぐわかるよ。そして……ふたつめ。……私にとっては、こっちが本題かな」


   風太郎はモヤモヤした気持ちを拭えないままだ。一方一花は自分の話したいことは決まっているのか、真剣な表情を崩さないまま次の話題に切り替えようとする。風太郎が懸念していた自分たちのこれからということについて結論が出たわけだが、一花にとってはそれよりも重要なことがあるのだろうか。


「私は、フータロー君に嘘をついてるの」


   まるで自分に戒めるかのように口にする一花。その様子は真剣というよりは重苦しい。


「……嘘?」

「そう。今日は道具持ってきてないんだけど、この言葉聞けばわかるんじゃないかな」  

   一花の雰囲気が変わる。彼女の演技の練習に付き合った時の、女優としての一面を感じたあの時間を風太郎は思い浮かべる。しかし、そこから繰り出される言葉は───

 

 

 


「一花、フータローのこと好きだよ」

 

 

 

 

   人間は簡単には変われない。生まれ育った環境の中で形成された価値観や性格を変えるには、大きな動機が必要となる。

   他ならぬ一花自身がそうなのだ。かつてガキ大将のようにわがままな性格をしていた一花は、母親が亡くなって五月が母親の真似事をするようになったのをきっかけに、長女としての自覚をしっかり持つようになった。しかし、自覚が芽生えたところで、自分の根本的な性格の悪さというものは何一つ昔から変わっていないことを一花は今更ながら理解する。


(……当然の、反応だよね。でもっ……!)


   一花の言葉を聞いた風太郎の表情は驚愕に満ちている。せっかく両思いになれたのに、これから話す自分の言葉で彼に拒絶されてしまうかもしれないことが、一花にはとてつもなく恐ろしい。

   所詮、これは一花の自己満足でしかない。彼女もそれは重々承知である。だけど、それでも。

   心から愛している彼に、嘘をついたままというのは許せない。こんな嘘つきの自分でも、風太郎にだけは誠実でいたいのだ。


「一花、お前……なんで、その言葉を……」

「単純な話だよ。あの時の三玖、私なんだ。自分の恋のために私はあの子の姿で嘘をついて、応援してるって言ったの」

「……やっぱ、あの時の三玖は……一花、どうしてそんなことをしたんだ」

「ただの嫉妬だよ」

「……………………は?」

「変装したのは成り行きだけど、ホントそれだけだよ。たとえ妹であっても他の女の子のことなんて話さないでほしい。私だけを見てほしい。そんなくだらない理由で、嘘をついたの」

「…………」


   一花の心の中で恐怖と後悔が蠢く。もともと恋愛を学業から最もかけ離れた愚かな行為と断じていた風太郎だ。間違いなく一花の馬鹿な行動に呆れ、幻滅していることだろう。しかし、それでも一花は続ける。


「私、本当はとても性格の悪い女なんだよ。フータロー君はたくさん私のこと褒めてくれたけど、私は君に褒めてもらう資格なんてないの。お母さんがいなくなるまでの昔の私は、ただの意地悪なお姉ちゃんだったし。四葉のおやつ横取りしたり、集めてた大切なシール勝手に奪っちゃったりさ。四葉に指摘されるつい最近まで、忘れてたんだよ?  どんだけ幸せな頭してるんだって話だよね」


   たとえ、彼に嫌われたくなくても。


「あと、修学旅行の班決めの時。あの時、四葉の様子変だったでしょ?  あれも私のせいなんだ。君と一緒の班になりたかったけど直接アプローチする勇気はなかったから、四葉のお人好しな性格を利用してフータロー君と一緒の班にするように強制させたの。……あはは、私あの子のこと嫌いなのかな」


   誰にも、彼の隣を譲りたくなくても。


「……それだけじゃない。フータロー君に好かれるのは私だけでいいっていう独占欲から、みんなが君のために用意して誕生日に渡そうと思ってたプレゼントを取りやめさせて、私だけが送ろうって画策してたの。二乃にバレて結果的に失敗で終わったけど……考えてたことに変わりはない」


   それでも、彼と本当の意味で結ばれるために。


「これが、私のついている嘘。今の私は四葉たちに意地悪してた、昔の私と同じ。君が信頼して褒めて……好きになってくれた、お姉ちゃんの私じゃないの。私はずっと、優しいお姉ちゃんの仮面を被って、フータロー君を騙してた」


   嘘から逃げることは、許されない。


   我ながら本当に性格の悪い女だと一花は思う。こんな人間だと知って、真面目な風太郎がまだ自分を好きでいてくれるとは、一花には考えられなかった。強い決意を持って暴露した嘘だが、一花の心は沈みつつある。後悔の念はとどまることを知らない。無理だと決めつけずに最初から今日のように素直に好意を伝えていれば、こんなことにはならなかったはずだ。

   どうして、こんなにも好きになってしまったのだろうか。妹を思う姉であり続けた一花がその役割を投げ出してでも、妹の姿を利用してでも、絶対に誰にも渡したくない。そんな黒い感情に正直になり、変化球に頼ってでも手に入れたいと思ってしまった存在。


   理由なんて、わかっている。

   風太郎が一花にくれたものは、両手では抱えきれないほどに大きなものなのだ。

 

 

 


   ひとつ。


   どこまでもまっすぐな飾らない言葉で、正面から私の心と向き合ってくれた。


   ひとつ。


   お姉ちゃんでなければならなかった私をたったひとり、努力を認めて褒めてくれた。


   ひとつ。


   あくまで家庭教師なのに、自分の時間を犠牲にしてまで私たち姉妹のためにお節介を焼いてくれた。


   ひとつ。


   不器用ながらも気遣いを見せてくれるその優しさで、そっと私を支えてくれた。

 

 

 


   ひとつ。


   作り笑いを、見抜いてくれた。

 

 

 


   一花が姉としての自覚を得てからは初めて自分のためだけにしたいと思えた、女優の仕事。それでも一花は、姉として一人前になるまでは話せないと妹たちには内緒にしていた。オーデイションに合格できなかったらどうしようという不安でいっぱいになり、臆病になって仕事から逃げ出していた。

   そんな時に一花を勇気づけてくれたのが、上杉風太郎。当時の一花に自覚は無くともずっと心の底で求めていた、自分の弱さと向き合ってくれる、そして姉ではなくひとりの少女として自分を見てくれる、一花にとってたったひとりの対等な存在。


(フータロー君がいなければ、今の私は……)


   一花は確信している。もし、風太郎が家庭教師を始めて自分の前に現れなければ。花火大会のあの時、作り笑いに気づいてくれなければ。絶対にオーディションに合格することは叶わなかった。自信の無さを拭えないままオーディションに挑んだところで、心から笑うことはできなかったに違いない。付き合いが短い社長ですら、風太郎の存在が一花の最高の笑顔を引き出したと言っていたのだ。あの日にはもう間違いなく、一花にとって風太郎は特別な存在と化していた。


(それなのに……私……!)


   だからこそ、 一花は強い自責の念に駆られている。風太郎が背中を押してくれたからこそ、女優として成功し、夢を叶えることができたのに。そんなたくさんのありがとうをくれた彼に対して自分がしたことは、信頼を、好意を裏切り傷つける、姉以前に人として最低の振る舞いなのだ。一花の心は自身への嫌悪感と風太郎への罪悪感が混ざり合い、ぐちゃぐちゃになる。

   もう、自分が何がしたかったのかすらわからない。結果だけ見れば今日の一花の行動は、自分のわがままで風太郎の貴重な時間を奪ったうえに、彼の愛を踏み躙っているのだから。散々振り回して疲れさせて、それでも一花を好きになってくれたというのに、最終的に失望させている。自作自演の末に自滅という、頭の悪すぎる結末。こんな馬鹿で最低な女に貼られるレッテルは、まさしく愚者の二文字がふさわしい。


(本当に、最低だ。いつも頑張ってるフータロー君が疲れてること、わかってたのに……)


   溢れ出る己への嫌悪感は自己否定へとつながる。何が学校をサボっての秘密のデートだ。ラストを一花自ら台無しにしている以上、風太郎にとっては無駄以外の何物でもないのに。疲労の溜まっていることがわかっていたのにもかかわらず、風太郎を自分の欲のために連れ出して、なんて自分勝手な女なのだろうか。


(……あぁ、そっか。やっと、わかった。なんで、こんなことにも気づかなかったんだろう)


   そして、ここまで自分を否定して、ようやく一花は理解することができた。

 

 

 


(私、何があっても、いつまでもずっと、お姉ちゃんなんだ。なのに……)

 

 

 


   いくら四葉が肯定してくれようが、我慢できないことがあろうが、自分が姉であるという大前提を忘れてはいけなかったのだ。

   なぜなら、妹たちはもちろん、一花が愛する彼も。全員が「姉」である中野一花を信頼し褒めて、好きになってくれたのだから。そうでなければ、こんな性悪女を好いてくれるわけがない。

 姉としての役割を放棄し嘘をついた時点で自分に勝者の資格が消えたことに気づかずに、こうして己の行動を振り返り嘘を暴露するまでずっと、一花は自分が風太郎にふさわしいと思い込んでいた。こんな簡単な矛盾にも気がつかないだなんて、本当に都合の良い頭をしている。

   家族旅行から今日まで、およそ一月に渡って一花が犯し続けた過ち。姉ではなく女として身勝手に独り占めしたいと願ってしまったがゆえに、風太郎からの愛も、共に築きあげた絆も、全て失うこととなった。風太郎は、真面目で妹を心から大切に想う兄の鑑のような人間だ。姉失格である自分の風太郎からの好感度が底に堕ちることは一花の想像に容易い。


(……もう、終わりだ。こんな最低なお姉ちゃんの私を、フータロー君は好きでいてくれるわけない)


   愚かとしか言えない自分の行動と救いようのない頭の悪さに、もはや一花は絶望することしかできない。姉でない自分は自己中心的で性格の悪い、ただの嘘つきである。風太郎が褒めてくれた、立派な嘘つきとは違うのだ。その事実は一花が風太郎を諦めるには、あまりにも十分すぎた。

 

 

 


   結論。こんな心の汚い女には、風太郎の隣で笑顔でいる資格はない。

 

 

 


「……フータロー君。ここまで聞いてさ、今の私をどう思うかな?  君を独り占めしたくて妹たちの心も姿も利用するような卑しい女、フータロー君が好きになる理由なんてなくない?」


   躊躇いなく自分勝手な欲のために妹を利用する女なんて、嫌われて当然だ。勉強のできない一花でも、これはただの自業自得でしかないことは理解できる。だけど、痛い。本心を隠すのなんて、慣れっこのはずなのに。


「嫌いに、なったよね。軽蔑、したよね。……ほんの少しでも私なんかを好きになったこと、後悔、してるよね。本当に……私の勝手で、嘘をついて……無駄な時間を過ごさせてしまって、ごめんなさい」


   いたい。いたい。こころが、いたい。それでも一花は耐えるほかない。どれだけ心が辛くても、この場面で涙を流すことは絶対にしてはいけない。

 なぜなら、被害者は騙されていた風太郎なのだから。加害者である一花が悲劇のヒロインを気取る資格はどこにもない。ただでさえ下がり切った評価を覆すことは無謀だというのに、ここで嘘つきとして強がることすらできなくなったら、生徒でいることすら許してもらえないかもしれない。


(屈しちゃダメ、自分の心に、負けちゃダメ!  私には、こんなことしかできないんだから……!)


   一花は頭を下げつつも拳を作り、折れそうな心を強く持つ。普段通りを装えば、彼も気兼ねなく拒絶できるという判断からだ。作り笑いは見抜かれても、口調と声色さえ明るくできれば、きっと風太郎を騙せるだろう。悲壮を悟られないために、至って何事もないように一花は告げる。


「だからさ、今日の出来事は全部なかったことにしよう。フータロー君はうっかり風邪ひいちゃって、私は仕事で学校行けなかった。今日はそういう日だったんだよ。私たちは今まで通り、教師と生徒。やっぱり、それ以上になんてなっちゃダメなの。ねっ、フータロー君」


 あとは心に鍵をかけるだけで、一花の恋は終わる。これからはずっとお姉ちゃん。家族旅行以前の、誰もが求め信頼してくれる、模範的な優しい姉の中野一花に元通りである。でも、何もかもが遅すぎたのだ。いくら自分の行動を後悔しても、風太郎の信頼を裏切った一花は、二度と彼から愛をもらうことは叶わない。

   それでも、再会して間もないのに自分の弱さを見抜いてくれて、背中を押してくれたこの世でたったひとりの男の子。そんな風太郎を、一花は愛している。これほどまでに夢中になってしまった恋は、これから先一生訪れないという確信が彼女にはある。だからこそ、辛い。初恋は実らないという現実は、一花の心を打ち砕く。


「そうか。嘘を、ついていたのか」


   完全に失意のどん底にある一花の元に、風太郎の声が届く。怒気は感じないが、優しい風太郎は必死に怒りを抑えているのだろう。やはり、風太郎はとても優しい。そして、そんな彼の優しさを利用した自分を、一花は許すことができない。ゆえに少女は、鍵を回す。


「……そうだよ。私は別に、フータロー君のことなんて、好きじゃないから」


 これで完璧だ。なにもかも嘘にしてしまえば、心置きなく風太郎は一花を嫌いになれるだろう。関係の解消を望んでいるであろう風太郎のために一花ができることは、もうこれしかないのだ。

 結局一花の恋は、自分はおろか風太郎も傷つける、バッドエンドそのものでしかなかった。だが、とても最低な結末ではあったとはいえど、風太郎と過ごした日々と彼がくれたものを、一花は一生、忘れることはない。


(ごめんなさい……フータロー君……でも、どうか、ひとつだけ……)


   自分がしたことは到底許されることではないとわかっていても、わがままな一花は願ってしまう。確かに存在した、今日という一日。


(もう、一生嫌われたままでいい。フータロー君が望むなら、私は君の生徒でいることも諦める。この学校からもいなくなるから、二度と君の前に現れないから!  だからお願い、この思い出だけは……!)

 

 

 


   どうか、私が姉ではなく、中野一花というただのひとりの女の子として甘えることができた今日の幸せなひと時を、胸にしまっておくことだけは許して───

 

 

 


「それがどうした。俺は反対だ。お前がなんて言おうが、俺は一花が好きなんだ。お前との一日をなかったことにするだなんて、そんなの絶対に認めねぇぞ」