スタイルチェンジ #9

 

「ふー、間に合った……」


 無事に戦闘準備を整えて、電車に乗車できた一花。ここまでくればこちらのものだ。


(移動時間を考えるとちょうどフータロー君と合流できる時間なんだけど……大丈夫かな、待たせてないかな……)


 時刻は18時。日は延びてきている春であっても、辺りも暗くなりつつある時間帯である。プライベートでの外出ということで当然一花は変装用の眼鏡を装着しているが、彼女の美貌にまったく変化はなく、効果は今ひとつのようだ。

 一花のファッションは黒の肩出しブラウスと、風太郎の要望通りの青のスキニーパンツである。自分の正体がバレてないか、風太郎はこの格好に喜んでくれるだろうかなどという心配事が付き纏い、落ち着かない時間を車内で過ごす。だが目的地は遠くはない。10分ほど電車に揺られているうちに、目的地に到着した。

 駅員のいない駅なこともあってこの時間でも利用者はほとんどいない。一花が駅の改札を出てすぐに、風太郎の声が耳に届いた。


「来たか。おつかれさん、一花」

「ごめんねフータロー君、おまたせー……って、ええっ!?」


 一花が驚くのも無理はない。風太郎は、二輪乗用車───すなわち、バイクに乗って、待ち構えていたのだ。風太郎が語っていた見せたいものとはこれで間違いないだろう。


「ふっ、驚いたか。俺、バイクは免許持ってるんだぜ」


 ドヤ顔で自慢げに話す風太郎。実は免許を所持していることはすでに五つ子全員把握済みなのだが、一花はそれを口にしない。たまに見せるちょっぴり子供っぽい風太郎は一花にはとても可愛らしく思える。真実を話してその表情を曇らせたくはない。


「へぇー、そうなんだー!  お姉さん、びっくりだよ。でも、どうしたの、それ?」

「ああ、今日になって、親父から誕生日プレゼントってことでもらったんだよ」

「ウソっ、すごい豪華じゃん!  よかったね、フータロー君!」

「まぁ親父と仲良い同僚が譲ってくれた、中古のヤツなんだけどな。でも……乗り心地は悪くねぇわ。ほらよ一花、お前の分だ」

「えっ、いいの!?  ありがとー!」


 ヘルメットを一花に手渡す風太郎。風太郎はこれで一花とのタンデムツーリングを企てていたようだ。ワクワクに加え風太郎の嬉しそうな様子で一花の心は満たされて、自然と笑顔になる。


「あっ、そうだ、フータロー君。服、これで大丈夫?」

「おっ、頼んだの着てくれたのか。二人乗りするには、女はこの格好がいいらしいんだよ。ヘルメット買うついでにいろいろ聞いたんだが、そしたら遅くなっちまった」

「そっか、そういう意図があったんだ……」.


 一花は風太郎がこのような格好が好みなのだと思っていたが、どうやら違うようだ。てっきり自分の欲を風太郎が素直に言葉にしてくれたものかと思っていた一花は、自分の勘違いを少しばかり恥ずかしく思う。だが、風太郎もどこか落ち着きがない様子である。


「その……似合ってるぞ。今回はこういう形だから、万が一を考えてお前には長いの着てもらったが、バイク使わねー時は、できれば……」

「?」


 直視はせずにチラチラと、一花の足を見ている風太郎。褒めてもらえた嬉しさはさておき、一花は何か言いたそうな風太郎が気がかりだ。


「フータロー君?」

「…………」


   頬を染めつつも、意を決したような瞳の風太郎。そこから告げられる言葉は───

 

 

 


「……ふと……足が見えてる格好だと、嬉しい……」

「えっ」

 

 

 


 一花がこんな間抜けな反応をしてしまうのは当然といえる。いくら両想いの恋人同士といえど、普段の風太郎のキャラクターからは想像もできない発言なのだ。そんな風太郎は一花の反応を見て引かれたと感じたのか、慌てて己の発言を撤回する。


「やっ、やっぱナシだ!  今のは忘れろ!」

「フータロー君……!  もう、照れ屋さんなんだからぁ♡」


 好きな人が正直な好みを話してくれて驚きこそあれど、引くなどありえない。風太郎が一花を信頼し、愛しているからこそ打ち明けたのだと、少女は理解しているからだ。一花は笑顔で風太郎を受け入れる。


「私、すっごい嬉しいよっ♡  おっけー、次のデートの時はばっちり足が露出してるの着てくるから、楽しみにしててね♡」

「ろ、露出って……!  俺は別に───」

「あっ、スカートがいいかショーパンがいいかはちゃーんとメールで送ってよね♡」

「だーっ!  時間もったいねぇしもう行くぞ!  これ羽織ってろ!」


 ヤケクソ気味に言いながらも風太郎は一花の肩出しブラウスは冷えると思ったのか、自分の羽織っていたジャケットを一花に手渡す。そんな風太郎の気遣いが一花の心を暖かくする。次回のデートではぜひとも膝枕を堪能させてあげようと思いつつ、一花は風太郎の言葉に甘える。


「あったかーい♡  ありがとっ、フータロー君」

「しっかり掴まってろよ」


 ヘルメットを装着した一花は風太郎に掴まり、バイクが発進する。五つ子の中で二乃だけが経験していた、風太郎とのタンデムツーリング。普段の風太郎とのイメージと違いすぎるとは思いつつも、可笑しげに話す二乃を一花は羨ましいと思っていた。


(うわぁ……夢みたい……!)


   それを自分が、彼女として風太郎の後ろで経験できているという事実。一花の幸せ度数は限界突破し、心は風太郎への愛でいっぱいになる。積極的に胸を押しつけてメロメロ具合をアピールしたいところではあるが、いかんせん運転中の風太郎の集中力を乱すわけにもいかない。風太郎にもっと甘えたいのに甘えられないむず痒い思いが、一花の全身を駆け巡る。


「ていうか、行き先とか決まってねぇな……一花、どっか行きたいところあるか?」

「どこでもいいよー。フータロー君とこうしてられるだけで、私とっても幸せだもん♡」


 それでも、一花にとってこの時間が幸せなのは間違いない。風太郎からは見えるわけがないが、一花の表情は非常に緩んだものとなっている。しかし、すぐに一花は己の発言を後悔した。


(……失敗した。むしろフータロー君考えこんじゃうかな)


   紛れもない一花の本心なのだが、自分のわがままで余計な考え事をさせたくないのもまた事実。しかし家の近所まで出るとお忍びデートが五つ子の誰かに見られる可能性がある。だけどこんな時間からホテルはさすがにはしたないだろうし、そもそもこの時間から入れるのかだとか停めれる場所はあるのかなどと考えを張り巡らせていたが、風太郎の声によって強制的に現実に引き戻される。


「そうか。なら軽くその辺走ったら、ファミレスかなんか行って休憩しようぜ。なんだかんだ飯にもいい時間だろ」

「えっ!?  う、うん。ありがとね」


 てっきりそういうのが一番困る、などと返されるものかと思っていたばかり、一花の返答はどもったものになってしまう。

 だが、雰囲気は最高そのものだ。周りは車通りの少ない住宅街。夕方を過ぎていることもあって町の住民はすでに家の中。響くのはバイクの走行音のみ。正真正銘、一花と風太郎の二人だけの世界が広がっている。


(ホント、幸せ……大好き、フータロー君……)


 一花は今がある幸せを噛みしめる。数えきれないほどの間違いを犯した。愚かで馬鹿な自分には風太郎と結ばれる資格はないと思っていた。それなのに、今こうして一花は風太郎と同じ時間を恋人として過ごしている。もう何があっても、手放したくない。

 想いにふける一花はしばらく沈黙を貫いていたが、何かに気づいたのか風太郎に声をかける。


「あっ、見て!  フータロー君!向こうの方、桜咲いてるよー!」

「おお、ホントだな。だいぶ散りかけのが増えてる中、珍しいな。……行ってみるか?」

「いいの!?  やったー!  ありがとっ♡」


 クラスメイトが見たら驚くであろう、子供のようにはしゃぐ一花。少なくとも異性では風太郎しか知らないであろう一花の顔だ。

 風太郎に身を任せバイクが細い道に抜けると、突き当たりに桜の木のある広場が見えた。


「おつかれさまっ、フータロー君」

「おう」


 バイクを道の傍に置く風太郎を待ち、一花は風太郎と共に二人して桜の木によりかかる。二人だけの静かな空間に、心があらわれるのを感じる。


「静かだねー。とっても落ち着くなぁ」

「そうだな。思えば、一花とはこういう場所で二人きりになることが多いな」

「あっ、確かに。しかも今日も含めて、大体夜だよね。フータロー君、よく覚えてるねー」


 作り笑いを見抜いてくれたあの日。自宅のベランダで風太郎にアドバイスをしたあの日。風太郎に夢を応援してもらったあの日。一花が一生忘れることのない、風太郎と心を通わせた場所、その記憶。全てが一花にとって、かけがえのない大切なものだ。


「忘れるわけないだろ。ていうか、お前こそちゃんと覚えてるじゃねぇか。もっとその記憶力を勉強に活かしてほしいもんだぜ」

「えへへー♡  でも今度から、フータロー君が個人レッスンもしてくれるんでしょ?  私、頑張っちゃうんだから!」

「おう、期待してるぜ」


 そして、その思い出は風太郎の記憶にもしっかりと刻まれている。優しく微笑む風太郎は高校で出会った頃の仏頂面からは考えられない姿だ。時を重ねて絆を深め、お互いの愛を知ったからこそ、今の二人の時間がある。


「なぁ、一花。修学旅行の件で提案があるんだが」

「なーに?  聞かせて聞かせてっ」

「俺たちにもいろいろあるから難しいかもしれないが、最後の一日くらい、一緒に回らないか?」

「!?」

「最終日はコース選択式だ。映画村、候補にあっただろ。よかったらいろいろ教えてくれよ」

「えっ、ええっ?」


 唐突に一花に降り注ぐ、修学旅行でもお忍びデートをしようという風太郎の提案。恋人になったとはいえど、普段のドライな印象と正反対の、積極的な今日の風太郎に一花は驚かされてばかりである。

 一方風太郎は喜んでくれると思ったばかりに戸惑う一花に不安を覚えたのか、自信のない声で一花に問いかける。


「……嫌、だったか?  あいつらと一緒にいたいなら、無理強いはしないが……」

「ちっ、違うの、すっごい嬉しいんだけど……でも、班決まっちゃってるでしょ?」

「幸いにも前田も武田も去年のお前のクラスメイトだ。話はスムーズだろ、前田はまだ俺たちの関係を誤解してる可能性もあるしな」


 すでに風太郎と二人きりで同じ時間を過ごすだけで十分満たされている一花の心に、まだまだ風太郎から愛が注がれる。それでも、お腹いっぱいには程遠い。スイーツと同じように、大好きな彼氏からの愛は別腹なのだ。


「いいの?  私と、一緒で……」

「俺は一花と一緒がいいんだ。せっかくの京都なんだぜ、お前と思い出を作りたいんだよ」

「……!」

「だから、嫌じゃないなら……俺と、付き合ってほしい」


 一花に断る理由など一ミリもない。好きな人と恋人になれて浮かれているのは自分だけではないということに、喜びを感じる。


「うん、いいよ!  誘ってくれてありがとう。楽しい思い出、たっくさん作ろうね♡」

「おう。俺の方こそ、ありがとな」


 お互いに感謝を伝えつつ、優しい笑顔を恋人に向ける。高校生らしい、青春を謳歌するカップル。まさしく、一花が自分の本心を自覚してからずっと望んでいた光景である。このままふたりで、いつまでも一緒にいたい。永遠に、甘い時間に浸っていたい。だけど。

 

(……うん。浮かれてるだけじゃ、ダメだよね)


 たくさん愛を伝えてくれた風太郎。だが、そんな風太郎には為さねばならない目標があるのだ。


「ねぇ、フータロー君。話さなきゃいけないことがあるんだけど、聞いてくれる?」

「ん?  どうしたよ、一花」


 自分の心の迷いは間違いなく風太郎の足枷になる。それを理解している一花はひとりで抱え込まず、正直に己の弱さをさらけ出す。風太郎と出会うまでの一花ではまずなかったであろう、彼女の成長のひとつである。


「あのね……私たちが恋人になったこと、五月ちゃんにバレちゃった」

「!   俺のせいか……すまん。 五月は、なんて言ったんだ?」

「……応援してくれるって。今までの私を認めてくれて、あなたたちの味方ですよって、言ってくれたの。私、五月ちゃんに私たちのこと話すのやめろって言ったのに、あんなに醜い自分を見せたのに。嫌な顔一つせず、笑顔で受け入れてくれたんだ」


 昨日五月に対して、姉である自分との決別を告げた一花。今までの自分を棄てることに躊躇いはなくとも、そこに後ろめたさがないわけではない。長年長女として在り続けた一花の妹たちへの想いは風太郎への愛にこそ負けるとはいえど、完全に消えてはいないのだ。


「マジでか……ありがたいことだな」

「うん。本当にとっても嬉しかったんだけど……他のみんなはどうだろうって、思わずにはいられないの」

「…………」


 風太郎が隣にいてくれるのに、一花は自分に自信が持てない。自分に前科があるという事実が、彼女をネガティブにさせている。


「ごめんね、フータロー君……今まで何度も励ましてくれたのに、めんどくさいよね、私。だけど……不安なの。お姉さんじゃない私が、自分勝手でわがままなのは事実。だから、みんなは認めてくれないんじゃないかって、どうしても考えちゃうんだ」

「……そうか。今までずっと、長女としてあいつらを導いてきたんだ。お前の不安は、当然なのかもな」


 何があっても一花が五つ子の長女という事実は消えない。今まで辛いと思ったことはないが、最近は悩まされがちである。

 一花は話を聞いてくれる風太郎の優しさをありがたく思いつつも、弱い姿を見せていることに申し訳なさを感じている。自分の心の弱さをひた隠しにしていた一花は、弱音を吐くことに慣れていないのだ。

 対して風太郎は自分の答えはまとまっているのか、迷いなく一花に告げる。


「二乃や三玖の感情はそれぞれあいつらだけのものだ。俺がこうしろって、強制することはできねぇ。ただ、他のやつらがどう思おうが、俺の気持ちは変わんねぇよ」


 風太郎は一呼吸おいた後、真っ直ぐに一花を見据える。そして───

 

 

 


「俺たちは恋人で、俺は一花だけを愛してるんだ。いくら二乃や三玖が俺のことを好いてくれようが、二人の想いに応えるつもりは一切ない」

 

 

 


 一花のハートを貫く、風太郎のストレート。なんて。なんて、強くて、優しいのだろう。


「もちろん、みんな揃って笑顔で卒業。それを達成するために俺は全力を注ぐつもりだ。五月が応援してくれるなら、友達としてその信頼を裏切りたくない。あいつの優しさに、応えたい。……だけど、もし仮に、失敗したとしても。あいつらがなんと思おうと俺は、一花に隣にいてほしい」


 一花至上主義を貫く、と宣言する風太郎。大好きな彼氏が、隣にいて支えてくれることが。何があっても自分だけを愛してくれるという疑う余地のない事実が、嬉しくて、嬉しくて。


「フータロー君……」


   感極まって、涙がこぼれてしまう。


「っ、一花……でも、これが俺の答えだ。自分勝手なのは俺だって同じなんだ。お前が、こんな俺をどう思うかわからないが、俺は───」

「そんな、悪く思うなんてありえない。私、すごく幸せなの。最低なの、わかってるのに。大好きなフータロー君が、私だけを愛してるって言ってくれることが、本当に、どうしようもなく嬉しいの」


 やはり、この気持ちは曲げられない。飾らずに素直な気持ちを表現することが、風太郎の愛に対する最大の誠意だと一花は理解している。


「私も、フータロー君といつまでも一緒にいたい。もしも妹たちとフータロー君、どっちかしか助けられないなんて状況になっても、私は迷わずフータロー君を選んじゃう。君が隣にいてさえくれるなら、きっと私は笑える」

「……一花」

「だからこそ私は、フータロー君を支えたい。君が掲げた目標を達成するために、全力を尽くしたい。私だって、みんなに認めてもらいたいって気持ちに偽りはないし、なにより、フータロー君の幸せは私の幸せなんだから」


 独り占めしたい。私だけを見てほしい。一花の独占欲は完全に消えたわけではない。しかし、風太郎に触れて、一花も学んだのだ。独りよがりな愛を振りかざすだけでは、相手を苦しめてしまうと。それでは最終的には、誰も幸せになれないと。愛を与えてくれた分、自分からも返したい。この気持ちこそ、忘れてはいけない大切なものだ。

 初めは二乃への対抗心から決意した、一花のスタイルチェンジ。その内に秘めたものは風太郎に好かれたい、自分と同じ気持ちにさせたいという、欲にまみれたものでしかなかった。

 だが、一花は昨日一日風太郎と共に過ごす中で、風太郎が自分の愛に救われたということを知った。姉であり続けた自分を風太郎に褒めてもらえた。自ら愛を与えた風太郎によって、一花は風太郎に好かれたいと思うあまり忘れかけていた愛、そして、夢を応援してくれたことへの感謝の心───最初に愛を与えてくれたのは風太郎だということを、思い出すことができたのである。

 だからこそ一花は自分の嘘も打ち明けた。ありのままの自分、そして嘘すらも受け入れてもらえたのは、風太郎が一花の愛を真実だと確信してくれたからなのだ。


「ありがとな。一花にそう言ってもらえて、すげぇ嬉しい。だって、俺も特別な生徒は一花だけなんだからな。もしお前たち全員が同時に危機的状況に陥ったとしても、俺が真っ先に助けるのは一花だ。ひとりを選ぶっていうのは、そういうことなんだろう」


 だからこうして、風太郎も一花の想いに応えるのである。身勝手な主張ではあるが、それでも一花にはたまらなく嬉しい。心が通じ合っているという証明。一花と風太郎は、互いに同じ気持ちなのだ。風太郎の愛によって、ようやく一花の心から迷いは消えた。


「すべてを得ようだなんておこがましいんだ。俺たちの幸せは、あいつらにとって不幸にあたるのかもしれない。だけど、それでも俺は、一花だけが好きなんだ。二乃たちに傾くことはもうありえない。だって、俺の幸せは、望みは───」


 恋人になってまだ二日目ではあるが、お互いに積み重ねた愛はその比ではない。一花も風太郎も、互いの存在がなければ、女優として輝くことも、家庭教師を続けることも叶わなかったのである。今の自分は、恋人の存在なくして語れない。二人ともそれがわかっているからこそ、相手の全てを愛で受け止める覚悟が備わっているのだ。


「一花がいつまでも、笑顔でいてくれることなんだ。……叶うなら、俺の隣でな。だから……もっと、俺に甘えてくれ」


 穏やかな笑みで愛を与えてくれる風太郎。少女が心のどこかで望んでいた、甘えたいという願望。心はすでに風太郎への愛で溢れかえっている。それでも、一滴たりともこぼすつもりはない。風太郎が頬を染めながらも、目線を逸らさずに伝えてくれた真剣な想い。応えなければ、彼女失格だ。


「……私たち、ホント自分勝手だね」

「いいんじゃないか?妥当な評価だろ。俺たちにはお似合いだ」

「ふふっ、フータロー君にお似合いって思ってもらえるだなんて……食堂で出会った頃からは想像もできないな」


 一花は両手で風太郎の手を包み込む。たっぷりと、ありったけの愛を込めて。


「フータロー君。好き。大好き。何度言葉にしても、ちっとも足りない。花火大会のあのとき、作り笑いを見抜いてくれた君が」


   素直な気持ちを、大切に。


「林間学校の倉庫で夢を否定することなく、応援してくれたあなたが」


 君の心を、私の愛で満たしたい。君が私に、してくれたように。


「そして、今。私の全てを受け入れて、愛してくれるフータロー君が。愛おしくて、恋しくってたまらないの」


 だから、私は。


「一花……」

「今だってドキドキが抑えられない。フータロー君への想いが、愛が止められないの。だから───聞いて」


 君が幸せを感じてくれる、私の笑顔で───

 

 

 

 

 


「たくさん私に愛をくれて、ありがとう。だから、私にもいっぱい、甘えてほしいな」

 

 

 

 

 


「─────」


   一花が手を離した直後、風太郎に両手で肩を掴まれる。それを受けた一花は風太郎を見上げ、無言で目をつむる。視界は真っ暗でも、男らしい強さを感じる風太郎の眼差しは頭から離れない。真の愛で結ばれている二人に、言葉などいらない。二人の顔が接近し、唇が重なろうとした、その時。

 

 

 


「ぐぅ〜…………」

 

 

 


 空腹の知らせを告げる、あまりにも雰囲気にそぐわない音が鳴り響く。発生源は風太郎のお腹の辺りだ。


「…………」

「…………」


 一花の肩から手が離れる。それに伴い目を開く。少女の視界には冷や汗を掻く風太郎。さすがにこれは堪えきれない。


「ぷっ……あはははっ!  もう、ホント締まらないんだから!  フータロー君、かわいいなぁ♡」

「う、うるせぇ!  からかうなよ……死にてぇ」

「ねー、いい時間だし、お腹空いちゃったもんねー♡  そんなこともあろうかと……♡」


   弄りがいのある風太郎を見たことにより、一花の心の小悪魔スイッチがオンになる。悪戯心に満ちた彼女が鞄から取り出したのは、風太郎と会う時間帯的にあって損はないと考えて多めに買っておいたパン。外食は風太郎の財布には厳しいと思い、いくつか残しておいたのだ。


「じゃーん!  みんな大好き塩バターロールでーす!」

「お、おう……名前からして美味そうだな」

「でしょー?  これをフータロー君に差し上げましょう!」

「いいのか?  助かる……サンキューな、一花」


 からかわれた後ではあるが、素直に礼を口にする風太郎。ヘルメット代が想像以上に財布に大打撃を与えたこともあって、一花の気遣いを非常にありがたく感じていた。

 しかし、風太郎の感謝の気持ちは一花には正しく伝わっていない。昨日からお預けを二度も食らっているのに、意地悪しないなんて選択肢は彼女にはなかった。一花の藍色の瞳の奥にはすでにハートが宿っていることに、風太郎はまだ気がついていない。


「……一花?  なんで千切るんだよ?  そして千切るにしては小さすぎる気が……」

「これでいいの。あむっ」


 一花はパンを咥えて風太郎を見上げ、再び目をつむる。即ち───

 

 

 


「ふぁい、ふーふぁふぉーくん♡」

「!?」

 

 

 


 何事も、何度でも挑戦。風太郎に指し示す、ワンモアキスの精神である。


「い、一花……」

「ふぉーぞ、ふぇしぃあがれっ♡」


 言葉こそあやふやでパンを咥えているという違いこそあるが、一花のポージングは先程と同じキス待ちの姿勢だ。鈍感さには定評のある風太郎でも、彼女が何を期待しているか理解できないわけがない。


「んー、んー♡」

「っ……」


   暗に早くしろと、もう一度キスしろと促す。声のトーンからして、風太郎が動揺していることは目をつむっている一花にも明らかだ。視界が真っ暗であるがゆえに、どのタイミングでキスするのかわからないというスリルがたまらない。しかし、風太郎が下す判断は一花には容易に想像できる。ヘタレな風太郎は声を荒げ、強引にパンを奪うだろう。


(まぁ楽しいし十分幸せだし、そろそろいっかなー……)


 そう結論付けて一花がネタばらししようとした、その矢先。

 少女の口先に伝わる感触。咥えたパンが離れ、隙だらけの唇が塞がれる。


「んむっ……!」


 自分が仕組んだにも関わらず、一花は思わず目を見開く。しかし、すぐに驚愕は喜びへと変換される。当然一花は自分から唇を離すつもりはない。限界まで、風太郎を味わいたい。少しパンの味がするキスではあるが、これもまた今の一花には興奮の材料だ。


「んはっ……はぁ……」

「ぷはぁ……ふふっ……じゅるっ♡」


 お互いに息苦しさが極限に達し、唇が離れる。恥ずかしそうに明後日の方向を向く風太郎に対し、キスの味を少しでも長く残したくて舌舐めずりをする一花。風太郎との粘膜接触は一花にとって強烈な媚薬なのだ。すでに小悪魔スイッチは切り替え不能である。一花は誘うような甘い声で、風太郎の脳を刺激する。


「もう、やだぁ、フータローくん……だいたぁん♡」

「……自分で仕掛けといて何言ってんだよ……」

「えへへ……とっても、美味しかったよっ♡」


 昨日から数えてキスは計四回。お互いに二回ずつ試行している。自分が仕向けたことだが、風太郎からのキスは一花には何よりの幸せであった。だけど、もっともっと満たされたい。風太郎限定のキス魔と化した一花はこれしきでは止まらないのだ。


「じゃあ次は、私のキス……ううん、食事の時間だね♡  フータロー君、どーぞ♡」

「はぁ!?  もうやんねーよ!  おかげさまでお腹いっぱいだ!」

「ええ、そんなぁ……せっかく、ウインナーパンがあるんだよ?  これはもう、私としては咥え……ヤるしかなくない?」

「さっきから何一つ訂正できてねぇよ!  ていうか食べ物で遊ぶな!  犯罪だぞ!」

「べつに食べ物じゃなくても……その、フータロー君のウインナーはあるでしょ?  た、たぶん私のサイズなら、十分挟め───」

「む、胸寄せてんじゃねぇよドアホ!  外でヤるとか非常識すぎるだろ!」

「じゃあ室内でヤるなら───」

「黙れ黙れムッツリスケベ!  もう飯食いに移動するぞ!  俺が奢るから許してくれ!」

「……無理してない?  私奢るよ?」

「なんでそこで普通の反応に戻るんだよ!  滅多にない俺の奢りだぞ!  ありがたく思え!  思ってください!」

「むー……フータロー君のヘタレ……」


 思い通りの展開にならず、頬を膨らませる一花。自分の信念をしっかりと持っている風太郎だが、今は必死に一花の誘惑から逃れようとしている。彼女への愛を言葉で伝えるのは100点満点でも、一花が肉体的接触を匂わせると露骨にたじろぎ情けない姿を晒してしまっている。リア充デビューを果たしても、まだまだウブな男の子ということだ。

 だが、そんな男らしくない姿も一花にはとても愛らしい。幻滅するなどありえない。声も性格も、その在り方も。風太郎の全てを愛しているのだから。


「しょうがないなぁ……でも、ご飯食べに行った後は……ね♡」

「バカ、解散に決まってんだろ!  バレるリスク考えたら朝帰りとかありえねぇ!」

「えー、まだ私何も言ってないよ?  フータロー君のおちゃめさん♡」

「おちゃめでもなんでもいいわ!  寒くなってきたし早く行くぞ!」

「はーい♡  ぎゅーって抱きしめて、あっためてあげるねっ♡」

「〜っ!もう好きにしろ!」

 

 

 


 愛を学んだ長男と長女の恋愛模様。そんなわがままなふたりの物語は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 


「フータロー君、大好きだよっ!」

「……俺も大好きだぞ、一花」